中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
お知らせ
 
 ☆ 国立民族学博物館にてマルチメディア番組『徳宏タイ族のうた』公開中
    (2010年6月より みんぱくビデオテーク)

 ☆ 「これまでのライブ履歴」

 ☆ フルス(葫芦丝)注文の仲介します
   春の注文は締切ました。
   次の引渡しは2016年秋以降になります。お問い合わせください。
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先日、11月28日から12月2日まで、昆明市の昆明劇院と源生坊にて、雲南少数民族の伝統芸能に関するパフォーマンス「第二届源生乡村音乐歌舞艺术节」と、伝承活動の成果発表、そして様々な討論会が行われました。
この機に、以前オーナーの劉暁津さんが書いた記事を日本語に翻訳したものを紹介いたします。

芸術祭の写真はこちら:源生坊の活動

劉暁津 著 ドキュメンタリー作家、『源生坊』オーナー(筆者の許可を得て翻訳:伊藤悟)
中国:2002年12月号『芸術世界』総第151期、pp.66-69.


関連記事:本当の戦士-ある音楽家の闘いと死

Sad Melody ――悲しき歌 『雲南民族文化伝習館』のゆくえ

1994年1月18日、中央楽団・国家一級資格をもつ作曲家、田豊は、チベット水利工事兵部隊のある部門から10万人民元の寄贈を受け、昆明から40キロほど離れた安寧県内に『雲南民族文化伝習館』を設立した。伝習館の教師や生徒は、田豊が雲南の辺境各地から呼び集めた農民たちであった。教師は当地では威信ある民間の芸能保持者で、生徒たちはその教師と民族、故郷を同じくする16-20歳の若者であった。教師は生徒に口頭で雲南各地の民族の伝統芸能を伝承していった。食事に寝床、すべての費用は伝習館が負担し、さらに、師弟にはわずかながらではあるが小遣いも与えられた。伝習館の経済基盤は田豊による資金調達に全面的に依拠していた。


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久々の帰郷

1年8ヶ月ぶりの雲南。今回は挨拶だけの2週間だった。そして毎日のように酒を飲む。


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徳宏州のある村にて。
ちょうどカオ・ワー(雨安居入り)だった。

儀礼では仏像の近くにホールーと呼ばれる知識人が座り、在家者を先導して誦経文を唱えたり、経典を読み聴かせる。
この村には1人の90歳になる老人を筆頭に、60~70代のホールが4人いた、はずだった。

一人みあたらない。ひとなつっこい笑顔のモーカムおじいさんがいない・・・。

5月下旬から上映が始まる王兵監督作品『三姉妹~雲南の子』

公式サイトに寄稿したエッセイ「雲南の現実から」があります。よろしければご一読ください。

メニュー「雲南について」から選択できます。
『三姉妹~雲南の子』

観光の芸能と生活の芸能

雲南省に旅行に行ったことのある方なら、おそらく大理や麗江の名前をご存知かとおもう。そのなかで、音楽や芸能に興味を持っていれば、「洞経音楽」や「納西古楽」を現地で聴いたかもしれない。

洞経音楽は、道教、儒教、仏教の儀礼音楽や漢族の宮廷音楽が長い歴史を経て融合したグループ編成の器楽で、もともとは宗教儀礼において演奏されていたもの。雲南省や四川省の漢族のみならず、白族(ぺー)や納西族(ナシ)といった少数民族も演奏している。

ところで、今日はナシ族の「納西古楽」についてちょっとまじめに考えてみた。伝統は創られるというのがすでに定説になっているが、はたして僕らは何を「伝統」として、どのように受け止めればよいのだろうか。

「納西古楽」は古い音楽か、といえば、そうともいえない。「納西古楽」は80年代後半から麗江でナシ族の宣科さんが中心となってもともと儀礼や教養として演奏されていた洞経音楽を観光客向けに演奏し始めた。それからしばらくして観光客に説明しているうちに生まれた名称だった。
 宣科さんとても流暢な英語を話し、博識で機転の利くトークは観光客の注意をひきつけた。以前は本当に高齢の老人ばかりが演奏していたので、宣科さんの話が長いときや、自分の演奏の出番がないと居眠りしている老人もいた。宣科さんはそんなほのぼのとした演奏会を笑いを交えて紹介した。多くの外国人が宣科さんの家を訪ねて話を伺ったりしただろう。98年に初めて訪ねた僕もその一人だった。
 
再会と、別れ ②

僕は不眠症だった。暗闇でじっとして、ちょっとでも鳥の鳴き声が聴こえてくると、身を起こして顔を洗いに行く。ワン母はもうすでに机で物書きをしている。

春節が過ぎると、これからしばらく2ヶ月ほど、各地では上座仏教儀礼があちこちで行なわれる。
最近は寺院の建て替えが流行していて、その記念儀礼が盛況だ。
文革前に建てられた寺院はもちろん、文革後に経済力があった村は木造の寺院を建てた。
近年はすべてコンクリートを使って高床式の寺院を建てるのが流行のようだ。文革で破壊された寺院の再建をしたり、他の村のように立派な寺院を建てたいから、理由はいくつかある。
これに村の家々が数年ローンでお金を出し合って寺院を建設する。

それは最大の功徳になる。

meunglaa2010 01
ある村で、早朝。
書きたてのリックヤートを朗誦し、人名に間違いがないか確認。(歯ブラシをにぎってます)
 
 
 
 
 
 
 
 

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