中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
お知らせ
 
 ☆ 国立民族学博物館にてマルチメディア番組『徳宏タイ族のうた』公開中
    (2010年6月より みんぱくビデオテーク)

 ☆ 「これまでのライブ履歴」

 ☆ フルス(葫芦丝)注文の仲介します
   春の注文は締切ました。
   次の引渡しは2016年秋以降になります。お問い合わせください。
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タイ族の布 ③ 機織の音

機織の綜絖の錘がぶつかりあい、ころんからん、と澄んだ音が響く。
かつて、夜には村の娘の機織の音が響き、外では娘に語りかけるひょうたん笛の音色が鳴っていたのだろう。

「知っている男の子の笛の音色が聞こえたら、がんばって大きな音で機織をしたものだよ」
という老女の笑顔を思い出す。




筬(おさ)を押し引きする音、刀杼(トウジョ)または箆(へら)を打つ音、そして踏木を踏み、綜絖が上下して錘がぶつかり合う音。

ここちよい音を響かせながら布を織りました。

映像も改めてアップします。
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やさしいことばの魔法 ②


僕はうたを聴くのがとりわけ好きだ。

即興で大の大人が、老人が、笑いながら、うたを掛け合う。

男女の恋をモチーフにしたうたでも、うたの場は無礼講だと、若者や貴族や、理想の人間になりきってうたう。
さらに、うたの相手を美化したり、相手をその人として見なすよりは、別の人格をもった人として扱う。
そんなうたにはルールがある。韻を踏んだり、メロディーをきちんとつくること。
そのルールのなかにいるかぎり、人は自由にうたの世界を生きる。
内容は昔話や物語よりも、いっそう現実的なことがらと関係しているのに、そこでは笑いが絶えない。
ときどき、あまりに現実に近すぎて、相手を怒らせることもあるけれど。

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やさしいことばの魔法  ①

うつらうつらとまどろむお話の世界のなかで、眠りにおちていくあたたかさを覚えているだろうか。

お話の世界にのめりこむと、日常のいろんな拘束から少しずつ離れて、想像の彼方へと入り込む。
お話の内容を想像しながらも、お話の世界の、語られないことがらも、僕たちは自由に想像することができる。語りの世界のなかでまどろんでいるあいだ、誰にも僕の想像は邪魔されない。

日常の会話では、目の前の現実をことばにしながら、時に自分のために勝手なことを言ったり、騙ったり、人を傷つけたり、毒づいたり、むしゃくしゃした気持ちを言えずにことばを飲み込んだり、ことばを選びながら、あるいは何も考えずに、だらだらとことばを口から流す。

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分散する「私」の魂 ②


僕はどれだけ自分の魂を分離させてしまっただろうか?

僕は思い出せない。失った魂のこと。

記憶はことばにして人に伝えることが出来る。
でも、経験そのもの、生の感覚や感情は、言説にしようとすると、あまりにも陳腐なものになる。

記憶はとても主観的で、人に客観的に伝えることは難しい。


分散する「私」の魂

夏の日、ちょうどお盆の頃、久しぶりに公園の中を散歩してまわった。芝生が広がる公園の片隅の日陰に腰を下ろしてぼーっとしていた。
「わんわん・・・」子犬の鳴き声を聴いた気がして振り返った。
そこにいたのは黒いカラスだった。
僕は特に気にもかけず、また広場のほうを眺めていた。
「わんわん」
また奇妙な鳴き声だ。振り返るとやはりカラスがいる。まだ小さいから子どものからすだろうか。
僕がじーっとみつめると、「グワァ」とカラスらしい鳴き声をあげる。

また僕がそっぽを向くと、「グワァぐわぁ、わぁわぁ、わんわん・・・」と鳴く。
仲間とはぐれたのだろうか、僕はしばらくそこに座っていた。カラスは一定の距離をとって僕の周りを歩く。

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掛け合いうたを真剣に聴く子ども
 
 
 
 
 
 
 
 

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