中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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雨安居明けのあとのお祭り


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徳宏州の州都では東南アジアで一番でかい仏塔を建設中。貿易や麻薬のイメージが強いのと、西双版納に比べて旅行業がいまいち活性化していないため、州政府はいろいろがんばっているのである。そういえば、雲南一か西部一か、中国一?でかいとか言う広場も作っている。

町外れでも平地の建物のほとんどが漢族式なので、国内旅行者にとってはいまいち「エキゾチック」な興味と好奇心がかき立てられないとか。


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さて、この日はタイ族の僕のお母さんに呼ばれ、州都から車で30分ほどの村のお祭りを見に行く。
タイ族の母は民間の歌手である。この日は8つの村が集まって雨安居明け後のお祭りを開催。タイ族の母の主催する芸術団が呼ばれたのである。

都心に近いタイ族の人々の生活は豊かである。若者の服装を見ればわかる。
面白いのは、男の若者ならそれぞれグループを作って、同じ色や模様のシャンバック(肩掛けかばん)を掛けてバイクで女の子をナンパするのである。
この地域の女の子たちもそれぞれのグループで綺麗な民族衣装を着飾って男の子たちから声をかけられるの待つのである。

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15,6歳の女の子たち。
僕がよく訪れる田舎のタイ族は、生活が今も厳しい。数年前に比べて確かに豊かになったけど、都心に近い若者たちとは大違いだ。とにかく、生活をよりよくすること。文化は2の次、3の次である。
だからお祭りでも民族衣装などほとんど着ない。稀に政府の働きかけで着てくることがあるが、なにせ15,6歳の年頃の女の子はみんな出稼ぎに出ていないのである。
また、高校に通うようになれば学校がないから田舎を離れる。
そうして老人たちと時間を過ごす若者たちはどんどん少なくなっていく。

ずいぶん昔の話では、タイ族はビルマ側のタイ族地域に出稼ぎに出ていたとか。同じ系統の文化を共有するので、出稼ぎに来ていた若者はその土地で芸能をおぼえ、それを故郷に持ち帰るったという。
今では漢族中心の都会でファッションとカラオケを覚えてくるようなものか。

さてさて
夕方4時くらいからステージは始まった。最初の観客はこんなもので、ぽつりぽつりと。
ほかの村人たちは賭博やら太鼓をたたいて踊っている。男たちの胸にはビルマ・シャン州の州旗が張られている…。


ひとたび僕の母の歌がはじまると、周りからぞろぞろと集まってくる。歌や踊り、漫才、そして夜になると若者たちのバンドがロックやポップスをタイ族語で歌い始める。
夜のステージと観客は若者でにぎやかになる。

僕の母や芸術団のおじさん、おばさんたちはステージを終えると、年配の村人たちから道すがらに「歌垣」をかけられる。さすがに芸術団の皆さんは歌い返さないわけには行かないので、歌いかけてくる村人一人一人を言葉巧みに歌い負かせ、大急ぎで帰ろうとする。
しかし、やはり村にも歌の巧い民間歌手(普通のおじさんおばさん)がいるため、勝負がつかないとどんどんあちこちから歌掛けが始まってしまうのである。


こうしたにぎやかな歌垣は田舎ではめっきりみかけなくなってしまった。
村に住む僕の友人である名の知れた民間歌手はもう2年も歌を歌っていない。


この差はどういうことだろう。今回の雨安居明けの儀礼を見ていて、
なにかに心の中で暗闇が足元から迫ってくる感じがして、めまいがした。

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