中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
日常に生きる ① 魂の声


2001年の夏。

MH村の僕の友人アイホァンを訪ねたときのことだった。

雨季のため雨が降り続ける。朝晩と昼間の気温差は大きく、朝は霧が立ち込める。霧はひどいときでは昼まで晴れないこともある。太古、外地から来た人々はこの霧を「瘴気」といって恐れたのだろう。

雨安居入りしてからの3ヶ月間、五戒を授かる老人はほぼ七日ごと村の寺院に赴き、釈迦仏に供物を奉げて誦経し、寺篭りをする。

70歳近いアイホァンの叔母が家に来ていた。
円い顔の、笑顔が素敵なおばあちゃん。僕のお気に入りのおばあちゃんだった。


102-0230_IMG.jpg
別の日の朝食
友人の叔母は妹(アイホァンの母)を訪ねてきて、次の寺篭りをこの村で過ごすのだという。彼女はかつて共産党員として姉妹で昆明で毛沢東に会ったこともある。

その日、夕食の支度を手伝いながら、おばあちゃんは最近どうも身体の調子が悪く、食事ものどを通らないと話していた。


夜更け―、

僕ともうひとり遊びに来ていた漢族の友人は、女が甲高い声で泣く様な不思議な鳴き声を聞いて目が覚めた。

翌朝、僕たちはその鳴き声を発する動物が何か訊ねることにした。僕は猫かなにかの動物だろうと思っていた。

それを聞いたアイホァンの母は、その叔母の「コァン」(魂)が身体から抜け出てしまい,帰る場所がわからなくて外で泣いているのだと語った。

僕たちは朝食を準備し、叔母を居間の上座に座らせ 、「ホァン・コァン」(魂を呼ぶ儀式)をすることになった。

同居している長男の嫁に儀式を執り行ってもらう。友人アイホァン、アイホァンの兄(長男)、友人の母と父、叔母、僕、漢族の友人、全員が席に就く。

食卓の料理は、ほうれん草のスープ、卵焼き、昨晩の残ったおかず、辛味と酸味の利いた漬物、炊き立ての粳米、特別変わったものはない。

長男の嫁はご飯をよそった茶わんにおかず数品を少しずつのせ、まずは叔母の頭の上でその茶わんを反時計回りに回しながら「マーンダーン」(呪文)を唱えた。

次に何本かの線香をとりだして火をつけ 、それらを茶碗に刺し立て、家の入り口の門前まで歩いていった。



線香の煙と匂いは居間から入り口まで目に見える、そして嗅ぐことができる小道を作った。



長男の嫁は門の前で茶碗を空中でまわしながら再び「ぶつぶつ…」とマーンダーンを唱えた。

線香の「煙」と「匂い」、ご飯の「匂い」があたりに拡散していく。

そしてコップ一杯の水を家の前に「じょぼじょぼ」とゆっくりと注ぎ滴らせる。

これらの所作によって抜け出ていった叔母のコァンを茶わんのなかに戻らせるのだという。


それから茶わんを食卓に座る叔母のところに持ってくると、再び頭の上で茶わんを回しながら

「コァンよ、マー、マー、マー、マー、マー」(魂よ、来い)

と「ホァン」(呼ぶ、唱える)した。

ここに座る僕たち全員も一緒に「マー、マー、マー、…」と「ホァン」(呼ぶ、復唱する)し、いつものように食事を始めた 。

友人の叔母はその茶わんのご飯を「食べる」ことで抜け出たコァンを身体のなかに取り戻した。


それから気分がよくなった叔母は「わたしの魂の声を聞いてくれてありがとう」といった。


――――
この出来事から9年がたっていた。

僕は再びあの頃の日記を開いて見ている。

たくさんの楽しい思い出、切ない思い出、悔しい思い出…。

賢い頭脳を持ち合わせない僕は、ただ元気に村を駆け回っていたと思う。


可愛い友人の叔母はもういない。あれからしばらくして病に倒れ、彼女の命は尽きた。

後悔することがあるというなら…、

あのとき、僕はまだ彼らの生き方をよく知らなかったから、
力強く、願いをこめて「魂よ、来い」と唱えなかった、このことだろう。

コメント
コメントの投稿
 
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://asianmusic.blog50.fc2.com/tb.php/107-0dd7d93c
この記事にトラックバックする
 
 
 
 
 
 
 
 

copyright © 2006 People, Life and MUSIC all rights reserved.