中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
タイ北部でついにひょうたん笛(中国語でフルス、タイ族語でビー・ラムダオ、ビー・ホーム)を制作できる老人に会うことができた。

中国では長期滞在していたおかげでさまざまな地域の、さまざまな民族の老人に出会い、笛や多くの楽器に触れることができた。

タイでひょうたん笛の職人に会うこと夢見て8年…。長かった。本格的にタイで笛を探し始めて5年。
ふらりと避暑によったチェンマイ大学の図書館で、ぼろぼろになった確か30年くらい前のタイ語の報告書をみつけたときは正直震えました。


そしてその報告書を書いた退職したタイヤイの先生に出会い、さらにこの先生の友人でタイ・マオの著名な知識人で笛が大好きだったという老人を紹介してもらい、文化復興を志すタイヤイの舞踏家カムさんにも出会い、メーホンソンでは目が悪くて笛が作れなくなってしまった老人から技術を学び、老人から歌を聴いたり、思い出せばここまでの道のりが長かった。

たまたまカムさんがビルマ国境近くのタイヤイが多く居住する地域の学校でタイヤイの伝統舞踊を教えに行ったことがきっかけで、今年はじめ、ひょうたん笛の職人をたまたま見つけてくれたのだった。

カムさんが出会った老人は、数年も楽器を作っていなかったという。そこでカムさんがチェンマイからひょうたんを持ってきて、僕が以前渡したリード用の銅の薄い板を老人に渡し、再び楽器の製作に取り掛かってもらったのだという。
気さくなおじいちゃんで喜んで楽器を作ってくれたようだ。ただ、「農民だから」と、この老人が持っている技術がどれだけ大切なのか本人も、周りの人々もわかっていない、とカムさんが言っていた。

予定では1泊するはずだったが、出発当日、午前中の車のチケットがなんと売り切れ。午後の便があるが6時間かかるというので到着がかなり遅くなるため、その日の出発は断念し、次の日のチケットを予約して滞在先に帰った。
2日目の早朝7時半のミニバンでビルマ国境近くの村に向かった。

車に乗っているのは半分が中国国民党の末裔。リス族の老人とお兄さんも漢語がわかるらしい。タイヤイのおじさん、おばちゃんたちもどうやらちょっとわかるらしい。
どうもタイで育った中国人は大陸の人間と礼儀がだいぶ違うが(いい意味で)、今回の若い女の子は大陸の中国人とあまり変わらない。回りを気にせず電話で話し、携帯電話のスピーカーから大音量で中国の流行音楽を聴き始める。
運転手のおじさんは中国語の歌が嫌いなのか、車のカーステでタイのポップスをかけて対抗する。
結局、女の子は4時間のあいだ電話し続けていた。

道中、4箇所で警察と軍のパスポトチェックが入った。後で知ったが、数ヶ月前にビルマ軍といざこざがあったらしく、取り締まりも強化されていた。

急なカーブの山道を揺られること4時間、ついにタイヤイの村についた。
カムさんが学校で教えていたころの若いお弟子さんが出迎えてくれた。

そこからバイクに乗ってその老人を訪れた。

小柄でにこにこしていたおじいさんだった。
僕は今回から携帯電話を使っているので、カムさんに電話し、カムさんとおじいちゃんが久しぶりに電話を通して会話した。

pihorm200602.jpg



笛のことをしりたい、というと部屋から数本のひょうたん笛を取り出してきた。
前回、僕はカムさんからこの老人が作ったひょうたん笛をもらっていた。しかし、職人である老人を前に実物をこうして手に取るとひとしお感慨深い。

タイ北部のひょうたん笛は基本的にビルマシャンステイと、中国側のタイヤイ地域と同様のものだ。いまだ僕の中で空白であるタイ・マオの笛と同じなのかはわからない。
いえるのは僕がよく行く徳宏のタイ族の笛とは穴の数と、ドローンの組み合わせと音階が少々違う。
ルイリーを中心とするタイ・マオの地域で伝わり、もうまったく歌われない「サルウィン川の歌」と北タイまで伝承されている、これまた歌われなくなった「サルウィン川の歌」は同じ音階のようなので、おそらく遠く隔たっていても同じ形式のものだろう。

そしておじいさんはおもむろにひょうたん笛で「サルウィン川の歌」を吹いてくれた。

これが聴きたかった。

長年掛けてようやく聴けたひょうたん笛で演奏する「サルウィン川の歌」。やはり長い年月を掛けてタイ族の人々が移動したように、徳宏州の「古い調べ」から受け継がれてきたものだ。
方言の差が大きくなっても、韻の踏み方や形式が変化しても、やっぱりつながっているんだ、と思った。


つたないタイヤイ語でいろいろ話を聞いた。
決して多くのことをきいたわけではなかったが、感激である。
ところどろこ案内役のアイビー君にわからないところをタイヤイ語からタイ語に通訳してもらった。
でもタイヤイ語のにゃうにゃぁした発音はおじいさんでもかわいい。聞き取りにくいのだがかわいらしい。

歌の中で聞ける独特なアクセント、おそらくビルマの影響を受けたアクセントが徳宏タイ族の歌にはないものだ。より東南アジアっぽい。

おじいさんがもっていたひょうたん笛の中にはメーホンソンの老人が作ったものがあった。それは僕に作り方を教えてくれた老人が以前作ったものだった。

そして、もう一人この地域にいる老人が作った笛があった。ひょうたんが赤黒く鈍く輝いている。
僕がパラウンからもらったひょうたん笛もそうだったし、メーホンソンのワット・ジョンカムの博物館や古い写真で見たことがあったが、なぜそんな色なのか不思議に思って聞いてみると、長い間囲炉裏の上でしまって煙で燻すとこんな色になるのだという。
自分も囲炉裏があったら竹とひょうたんを燻すのだけど。いつか、いつか。


piihorm200601.jpg


カムさんのひょうたん笛を受け取り、老人の家を後にした。
おじいさんは手を振って見送ってくれた。その姿を見て、また今度ゆっくり来て、一緒に笛を作りたいなぁと思った。

夕方の車でチェンマイにとんぼ返りだったが、案内してくれたビー君と話をしていると、お兄さんがもう10年は徳宏で働いているという。ビー君も小さいころ徳宏に行ったことがあったという。僕もよく行く村だったので、もしかしたらビー君のお兄さんとすれちがっているかもしれない。


世の中不思議な縁の世界だとつくづく思う。

コメント
いいじゃないか!いい旅をしてるね。
今度こそ、例の人に君のことを紹介します。今日メールを送ります。12/10~1/20まで帰国するけど、君は雲南かな。
 
 
2006/11/30(木) 20:15 | URL | 亮介 #-[ 編集]
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