中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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日常に生きる③ 仏の教えと現実①―とりあえずの理解


RIMG3031パラ ある寺院の籐で編まれた仏

僕はタイ族の村に住みながら、人々の宗教信仰について触れる機会が多かった。
主に老人が「よりよい来世を迎えるために」という教義に従い上座仏教を信仰している、いつもそのように語られてきた。

いや、語ってきたのは、村の老人たちではなく、学者や役人だった。

この地域は中国の周縁にあって、東南アジアで広く信仰される「上座仏教」が伝わった周縁でもある。

村の皆がいちいち、すべての宗教儀礼において「来世のために積徳をおこなっている」とは僕には思えない。

友人のお母さんが寺院にいって仏に祈りを捧げた。

「私の娘に、子供が授かりますように…」

神頼みしたい心境はどこも同じだと思う。

・・・
よく、このような祈願が釈迦仏の前でなされる。
僕が思うに、普通の人々は今を生きること、今をもっと良く生きることに必死だ。
来世を考えるのは死を目前にした老人たちだ。老人でも家族や孫の安寧を望む。


僕はよく老人たちに上座仏教の教え、仏の教えは何ですか、と訊ねた。
いつも僕は何か崇高な釈迦の教えを期待していたが、老人たちから返ってきた答えは、

「父母を慕い敬うことが仏の教えである」ということだった。


その説明が腑に落ちなかった僕は「出家」についても尋ねてまわった。
タイ王国やビルマでは、結婚前の男性が一時出家をすることは仏教的な知識を学ぶ機会でもあり、父母に対する積徳になるから、と、言われているから。

しかし、またも返ってきた答えは意表をつく、

「それは積徳でもなんでもない」というものだった。

人々にとって「出家」とは一生を仏に仕えることを意味して、「一時」という期限付きの信仰心は功徳にもならないという話だ。


文化大革命以前からも、村では一時出家という習慣はなかった。

じゃぁ、誰が僧侶になるのか?

家が貧しくて生活ができない男の子、病気で労働が出来ない男の子、
そして、よく寺院で遊んでいる男の子、だそうだ。


僕は寺院の守りをする老人から竹細工を学んでいた。
その老人は数日交替で寺院に寝泊りしていたので、僕もよく寺院の敷地で竹細工をいっしょに編んでいた。

よく一人の男の子が寺院に遊びに来ていた。まだ小学3,4年くらいの男の子だ。
家は貧しく、母親は離婚して別の村に帰ってしまっていた。だからその男の子は父と小さな家で二人で暮らしている。

彼が寺院によく来るので、老人たちはよく笑いながら「僧侶にでもなるか」とからかっていた。


僕はそれもただの冗談だろうと、特に気にかけなかった。
でも、その語りはきちんと根拠があった。



老人たちはこのように述べる。
「本当の僧侶は千人に一人しかいないんだよ。」

村には90年代以降、二人の出家者があった。

一人目は中学に行かない男の子で、よく寺院で遊んでいた。
あんまりにもしょっちゅう一人で寺院に来て遊んでいるので、老人は親に伝えた。
少年の親は「占い師」と「シャマン」に彼の運命を占ってもらった。
占いによってわかったことは、彼は僧侶になる運命(僧侶にならなければ病気になる)があるということだった。

この村には僧侶がいないので、まず見習いとしてその地域の大きな寺院に送った。
やがて、彼は正規の僧侶になり、村に戻ってきて寺院に止住した。

しかし、問題が起きた。

出家した彼のために村人が布施をしていたお金が、実はその家族の手に渡っていたというのだ。
お布施されたお金は僧侶が自分で管理するが、寺院の修繕や、自分の昇格式で盛大な儀礼を開催するときに使われるべきお金だった。
僧侶は物を買う必要も、物を所有する必要もない、はずだった。

村人の不満の声があちこちからあがった。僧侶を養うのは経済的、労働的にもたいへんだ。
一日に食の食事を当番制でつくる。僧侶が必要なものは買って寄進しなければならない。
結局、村の人間関係は崩れ、彼は「とりあえず」村を追い出された。


その後、彼は数年間、仏の教えを学ぶためにビルマの高僧に弟子入りした。
難しい瞑想修行も乗り越えたという噂が村にも伝わった。
やがて、村人たちの怒りがおさまり、再び彼を村に呼び戻すことになった。

そう思っていた矢先、彼は戒を破ってしまった。
「よくある話」だという、出家した男が女性と交わってしまうこと。

彼は還俗し、その女性を連れて村に戻ってきた。

村の老人たちは非常に落胆した。

村に戻った彼は高僧から学んだ占星術と薬草の知識をつかって村で仕事を始めた。高僧に弟子入りしたというだけあって、すぐに噂は広まり、今ではこの地域で最も有名な「占い師」になった。
毎日、数十人の依頼者が来る。虎の日(タイ族の暦には毎日干支が割り当てられている)になると、「占がよく当たる」らしく、朝の6時くらいから漢族の偉い役人たちも並ぶほどに繁盛している。



敬虔な老人は自分の心を大切にすることを僕に言った。
「だから、私たちは僧侶の力を借りずに、自分たちで仏の教えを守る。ここには経典もある。私たちは経典を読んで仏の教えを知ることが出来るから。」


僕は以前から「一時出家したい」と老人たちに言ってきた。
出家を通じて村人たちと功徳を分かち合いたかった。

でも、老人たちと僕の間にはギャップがあった。
僕の頭にあった先入観。
僕らと老人たちのあいだの埋められないギャップだった。


しばらくして、ようやく、
僕がこの村の人々を人として好きで在り続ける限り、一時出家が村の老人たちにとっても、おそらく僕にとっても、功徳にならないことを理解した。一時出家は国家や「くに」が作り出したシステムだ。

かたや、
老人たちは竹細工や機織りをしたり、書物を勉強する僕を観察していた。
そして老人たちは、僕をいろんなことを調べる「ゴン・ガット」(優秀な人間!?)だと、彼らの社会のなかに位置づけた。


いつもの何気ない会話…

「アイバオは何でも勉強したいから、ちょっと、僧侶になってみるのもいいかもね。」


それが僕と老人たちが歩み寄って到達した「とりあえずの理解」だった。

僕らの結節点に、そこに崇高な教義など何もない。

人としてのつながりだった。


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