中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
浮遊する魂

母方の祖母が亡くなった。

訃報が届いたとき、扇風機が壊れた。
祖母が僕を「見に来た」ときに、持っていったのかもしれない。
貧乏学生の僕だから、安物の扇風機で勘弁してくれたのだろう。

日本では虫の知らせとでもいうのだろうか。

タイ族の村では訃報があると、家で作業している手を止める。そして、その作業で扱っていた「もの」の一部を死者の家に分ける。
浮遊し分散した死者の魂が生きていた時と馴染み深い仕事や「もの」に絡め捕らわれてしまわないように。浮遊する魂は様々な事物や人の心にくっつき、異界から死者の魂を引き寄せる力によって持ち去られる。
その引力は計り知れないほど、強い。

その引力に抵抗し、悲しみに心が無防備になった状態をどうにか防御しなければいけない。
わたしたちは葬儀を開く。
非日常的な時間と空間と行動を通して、死者の魂を速やかにあの世へ送り出す。


翌朝、僕は壊れた扇風機を意味もなくバラバラに分解した。
そして祖母が眠る青森に向かった。


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去年だったか、祖母とは電話で話をしただけで、それっきりだった。
弟の結婚式以来会うことはなかった。去年の夏に青森に行くチャンスを逃してから、数年ぶり今年の夏に会いに行こうと思っていた。


祖母が亡くなったからではない。
これまでずっと祖母のことをふと思うたびに、僕の脳裏では祖母が訛った発音で僕を呼びかける声がこだする。

母親の世代の方言は聴いてもだいたいわかる。
でも、祖母たちの世代の方言は聴いても半分もわからなかった。

「さどる"ぐーん...」

そして母の実家は豆腐屋だから、祖母がいつも早朝から機械の前の立って油揚げを揚げている後ろ姿が浮かんだ。
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とても安らかできれいな顔だった。
84歳になるのに、しわがほとんどなかった。
髪の毛も染めていないのに白髪が少なかった。

祖母はここ数年「涙そうそう」と、ひょうたん笛のCDをよく聴いていたという。
おじさんがCDラジカセの使い方を書いて何時でもきけるようにしていた。
そういえば、祖母は弟の結婚式といとこの葬儀で僕が演奏したひょうたん笛を気に入ってくれていたのだ。



アジアに住んで異文化の葬式に参加することはたびたびあった。
友人や師匠、友人の親族の葬儀。
悲しみは伝染するし、わずかでも同じ生を共有した人間だったら、どの土地だって、どの民族だって、葬儀の様式が異なっても、死がもたらす悲しみと抑圧感は同じだ。

しかし、やはり自分自身の親族の死は、経験がより直接的というか肉迫しているから、ひとつひとつの身体の動作、色、音、におい、声、味、触覚など感性が生々しい、重い質感をもって心に響く。

棺に釘を打つ重さ、音、振動は、僕たちと祖母の完全な分離だった。

重い質感をもって響く音が、痛かった。


日本の葬儀屋の手際よさには、感嘆と違和感を覚えた。
他人だkら、感情はない。だろうか?

骨を拾うとき、部屋の中には骨の匂いがたちこめている。
葬儀屋はてきぱきと骨を分けながら、この人たちは何人もの亡くなった人の骨を身体に吸ってきた。

僕らがたくさんの生き物の命を身体に取り込んで生きているように、
彼らは他人の死者の一部をたくさん身体に取り込んで生きてきた。

だからこそ、僕らと死者の仲介ができるのだろうか。


日本の伝統的な村落社会が崩壊したから? それに葬儀屋という職業もあるし、葬儀を自分たちの手で行なう必要はなくなった。
親族関係と無関係な葬儀屋の手際よさ、テンポのよさが、僕たちの浮遊しかける魂を危険な時間から抜け出させてくれる。
僕たちがいつまでも死者にしがみついて離れない、そのようなことが、ないように。


死を目前にしたポジティブなタイ人やラオス人、タイ族が言っていた。

「悲しんで何か意味があるの?」
「よいことだ、よいことだ、生まれ変わりに行けますね!」

動物も人も死ぬことは、即、転生につながる。
生前のおこないがよければ。

僕たちが食べている家畜も、死んだ後、次は新しい命として生まれる。
うまくいけば、転生を繰り返すうちに人間に生まれ変わる世がやってくるだろう。


おばが教えてくれた。

おばが豆腐屋をお休みした祖母にどこに行きたいか聞いたら、いつも美術館や博物館に行きたいといったそうだ。
18歳くらいで結婚した田舎の娘だったけど、由緒正しい家で、いろいろ日本画やら外から来た人たちと交流することもあったらしく、芸術が好きだったという。

4人の娘が祖母にプレゼントしたちょっとおしゃれな衣装は、田舎では着れない。

だから、夜、仕事がおわって自分の部屋に入ったとき、一人でそんな大切な服を着て楽しんだり、
趣味の手仕事をしたりして、
それから眠りについたという。

だから、たくさんのプレゼントは、祖母がたまに部屋で楽しんで、

それから大切に箪笥や押入れにしまっておかれた。

生前のそんな姿を思い浮かべると、それで満足していた祖母だったのか、
それとも、ほんとうはプレゼントしてもらった服を来てお出かけしたかったのか、
僕にはわからない。


僕は無神論者だが、

ただ、転生というものが本当なら、
来世はおばあちゃんが普段からうんとおしゃれしたり、いつも芸術にふれられますように。
どこかでまたひょうたん笛の音をきいてくれたらいいなぁ。

さようなら、おばあちゃん。
コメント
ご愁傷様です<(_ _)>
おばあさまのご葬儀で忙しい中、メールを頂きありがとうございました。
わが家では予定日より早く孫が誕生したり、同時期に生死のドラマがあったんですね・・・。

お母様の実家が青森とは嬉しいです。
私の実家は同じ東北の福島県郡山市。青森には友人が住んでますので、何回か出かけてます。マルヤマ遺跡や、棟方シコウの記念館、海の近くの市場など懐かしいです。
9日はリハーサルが7時まであり時間が間に合えば伺いたいですが、もう満席でしょうか?
お店に連絡してみますが、うまくいけばまたブラボー叫びます。(*^_^*)
 
 
2010/07/08(木) 09:08 | URL | 星ママ #uXdbenn2[ 編集]
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