中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
笛を奏でる ― 悲しい思い出

ひょうたん笛を学び演奏するようになってはや12年以上になる。
演奏していて、この笛を学んでいてよかったことは山ほどある。
では、逆にいやなことはなかったか、ちょっと思い出してみた。


切なく悲しかったことは、
一番つらかったのはエン先生がなく亡くなったことだった。
そして同じように、僕に「古いしらべ」を教えてくれたタイ族の老人たちが亡くなっていくことだ。

贅沢にも僕は生活に根ざした笛の音を聴くことができた。その物語を語るような音色がこの世界から消えていってしまうことは、とても悲しい。


ひょうたん笛が99年ごろから中国で次第に流行するようになり、とても嬉しかった。
でも、その反面、悲しいこともあった。

エン先生は若い頃からずっとひょうたん笛の音色の魅力を信じていた。
だから、何度失敗しても、借金を抱えても、こつこつと楽器を作り、演奏し続けた。

先生は人のよい性格だから、いろんな人びとが先生の工房を出入りした。
多くの人びとが、新しいビジネスチャンスを狙って、積極的にエン先生のもとにやってきた。

ある人は、エン先生の名前を勝手に使い、
ある人は、エン先生からお金を借りてとんずら、
ある人は、共同出資という建前で店を構えるも、後々先生をお払い箱に、
ある人は、最初はにこにこ笑顔で先生の下で修行し、外に行ったら悪口を言い、
ある人は、先生にはへつらうが、出稼ぎにきたタイ族の若者たちを馬鹿にし、
ある人は、エン先生の技術を学んで独立したのち、エン先生の笛をけなし、
・・・

でも、いまでも不思議に思うが、エン先生は何があっても気にしなかった。
エン先生が楽器をつくる側で、僕は座って世間話をする。
先生は黙々と笛を作り、「しょうがないことだ…」とため息を漏らす。
それでも、ずっと先生の側で先生を友人と慕う人もわずかに、ほんの、わずかにだけど、いた。


徳宏州で初の全国フルス(ひょうたん笛)コンテストが開催されたときだった。
本当なら、エン先生と昆明の企業が合作した会社がスポンサーになるはずだった。それがあの企業が役人を買収した。エン先生はどれだけ笛を全国に広めるために尽力したのか、その故郷でのイベントの扱いも散々だった。


学術的な研究会も開催された。
そこでは北京から来た学者や、雲南の音楽学者たちが多く訪れた。
裏話だが、そのなかの数人は研究成果を発表する際、第一声に以下のような内容の一言を述べた。

「エンダーチュエンは小刀一本でひょうたん笛の発展に多大な貢献をしたが、彼の故郷では全く評価されていない。今後、徳宏州政府はエンダーチュエンの功績をもう一度評価し、彼の仕事をもっとサポートするべきだ。」

その場にいた役人たち、特に責任者は顔を赤くしていたのを今でも覚えている。



その徳宏州第一回フルス・コンテストの実行委員(地方政府の役人)が開催前に僕に言った。

君もコンテストに出てくれないか? 
 君さえ出てくれれば、もう我々は君に『賞』をとらせる準備がある。
 受賞者なんて、よっぽど下手な間違いがなければ、もう決まってるんだよ。」


これは一生懸命練習をして、コンテストに参加しようとする愛好者たちを侮辱するものだった。
事実、中国のコンテストなどでは残念ながらいまも裏ではいろんな取引をしている。

大学の入試だって、僕の知り合いの教授のところに赤い包みをもってやってくる親子が何人もいる。

別のひょうたん笛のコンテストでも、『賞』をあげるから参加してくれ、という誘いが他にもあった。

エン先生は、このことを噂で知っていたから僕を慰めて言ってくれた。
「君の笛の音を聴きたい人たちがたくさんいる。コンテストに出なくても、ゲストとして演奏すればいい。」


僕が行っていたタイ族の村々では、
村の老人たちが「いっちょやってやるか!」と練習をし始めたり、
学校の成績が悪い子供や、家が貧しい子供が一生懸命練習して希望に胸を膨らませたり、
・・・。

その努力を裏切ることを平気でやる役人や売名行為のための企業家や、なにより、名声のために威張るだけの音楽家たちに腹が立った。


僕は誰にでも音楽する才能があるとおもう。
音を楽しめる才能が一番大切だ。

どんな音でも興味をもったり、その音を再現してみたくなったり、そんなワクワクした気持ちに突き動かされて、人間は好きなものを模倣することができる。

自分ができるまでのレベル、自分なりの工夫を楽しめること、それが一番大切だ。

エン先生は、生徒のそんな楽しむ心を発見させてくれる人だった。

コメント
懐かしいなあ、エン先生。いまだに会えなくなってしまったとは思えない。そういう意味じゃ、昆明にも戻りづらくなったな。
フルスを治してみようかな。
 
 
2010/07/23(金) 23:28 | URL | 亮介 #-[ 編集]
日本の愛好家のかたには自分でリードをつくるかたもいるようです。

良助さんは、きっと、いつか、なにかの縁で雲南にもどることがあるんじゃないでしょうか?
 
 
2010/07/26(月) 07:44 | URL | サトル #-[ 編集]
結婚にやぶれ、娘に捨てられ、年金制度も破綻して、無一文のジジイの頃に、昆明の街角でギターを弾いていたりして。ありえぬ、と思えぬ自分が恐い。昔日有了五個現代化、なんてタイトルのブルース歌ってそうだ(笑)
 
 
2010/07/26(月) 17:53 | URL | 亮介 #-[ 編集]
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