中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
タイ族の新年

piimai200600.jpg


 タイ・ヤイやタイ・マオなどビルマや中国側のタイ族の新年は西暦で言う11月頃である。
一般的にタイ系民族の新年といえばタイやラオスの「水掛け祭り」が思いつくが、本当の新年は11月頃だという。
 今回、機会があったのでチェンマイで開かれたタイヤイの新年に参加した。本当ならメーホンソンまで行って参加すればよかったのだが、タイペースにどっぷりつかっていたため予定の計画がたたなかった。いやその選択を忘れてた。
 というわけで、今回はチェンマイにあるタイヤイのお寺「ワット・グータオ」にて新年を過ごすことになった。
 ちなみにメロンが重なったジェディ(仏塔)が有名なお寺。現在本堂は新築中で、本当なら新年に間に合わせる予定だったのだろうけど、もちろんタイなので間に合わず、ンーペンサン(マイペンライ)と厳かであるはずの新年の行事に間に合わなかった非を一蹴してしまう。

piimai200601.jpg


徳宏のタイ族はタイ・マオを除けば、おそらくどこもタイ族新年をすごさない。僕がよく行く村の老人たちもタイ族新年って言うのがあるっていうのはわかっているけど、毎年気がつけば年越ししてた、なんてくらい新年には疎い。

日本人の年越しといえば、雪のふる寒い冬に、コタツでみかん食べて、年越しそばをすすって、神社にお参りに出かけて甘酒飲んで、焚き火で暖を取り…。
日本は四季がはっきりしているから、気温や自然環境の変化、それにともなう農作物や色彩の変化が一年のサイクルを身近に知らせてくれる。新年も、もうそろそろ、日本にいるみんななら感じ始めているのだろうか。

でも中国のタイ族の人たちの新年は気づかずに過ぎてしまうのだ。
亜熱帯だから特に季節感というものがない。もともとこの新年がどういう由来なのか詳しく調べなかったが、仏教行事が生活のサイクルとなり時を刻む現在、精霊を深く信仰していたかつてのタイ族の「時間感覚」とは異なるものなのだろうか。
そもそも「時間」を細かく考慮する日本の文化が珍しいのだろうか。

中国のタイ族にとって最近では漢族の「春節」が年越しになってしまっているのは確かだ。


もちろんタイ族の新年といっても、ここはタイ王国。イベントの始まる前にはまず国王に敬意を表し、国歌を歌い、チェンマイ県知事の祝辞をきく。県知事が遅れたため、司会者の若い男女はずいぶんプログラムなど同じことを繰り返して言っていた。偉いのはちゃんとタイヤイ語をタイ語に直していたことだった。もちろん、タイ人なんて数人のNGOや記者くらい。それとビルマ難民として不法滞在者が多いタイヤイのため、警察官が入り口で監視している。もちろん、身分証を持っていないタイヤイはたくさんいるが、そこは寛大で、警察官もそんな厳しく取り締まらない。
警察官が取り締まるのは、月末の、小遣いが足りなくなったころにバイク運転の違反者をとめて裏で賄賂を受け取るときくらいだ。

チェンマイ県知事は挨拶をしてちょっとイベントをみたらそのまま帰ってしまった。

イベントが始まる前にタイ・マオの著名な知識人で笛が大好きな老人夫婦に数年ぶりに再会していた。どうも大変偉い方らしく、一緒に話をしていたら舞台の一番前に設置されたソファーに座ることになった。どさくさまぎれにこの老先生に送る花まで係りの女性から贈られてしまう。

piimai200609.jpg piimai200608.jpg


チェンマイに住む、出稼ぎや逃亡してきたタイヤイの人々にとって、この新年はどういうものなのだろうか。
大晦日のイベントで、太鼓の舞と銅鑼のリズム、「ノック・ギンガラー」(ギンガラーという伝説の鳥の舞)や鹿の舞、「ビー・ピュー」(縦笛)の伴奏で男女の歌垣があった。そして若者たちがステージに上がって新年の新しい歌を合唱。そして日本人である僕がたまたま国境の老人から預かってきたひょうたん笛を持っていたので演奏させられる始末。

piimai200607.jpg


若者のほとんどはこの楽器を知らない。
みても山地民の「ひょうたん笙」と間違えてしまうくらいだ。ちょっと年が行っている人なら見たこともあるだろう。
突然ステージに上げられ、つたないタイ族語で一応挨拶もした。遠めから見たらヒゲもはやしていたし、日本人とは思われていないだろうな。

piimai200610.jpg


カムさんのノックギンガラーの舞には絶句した。これまでチェンマイ大学や各地のカントークディナーで同じ踊りを見てきたけど、動きがぜんぜん違った。身体技法と解釈、そして心が一体となっている。ビルマから逃れてきたにもかかわらず、タイヤイのみんなが知っている実力者なのだ。

piimai200603.jpg piimai200604.jpg piimai200605.jpg


そして大晦日のイベントはついに本番を迎えた。
若者たちのスターの登場である。ロックバンド。
特設会場なので巨大スピーカーがもちろん設置されている。
そのスピーカーからギターやドラムの爆音が内臓に響く。地面まで震えていた。
日ごろの圧迫されている生活から開放される唯一の時間だろうか。
ロックバンドが始まると、どうやらファンの女の子たちがステージ近くにやってきて、グループのメンバーに花束を渡すタイミングを見計らっていた。こういうところはどの国も同じだ。

さすがにステージ真正面のソファに座っていたため、耳もおかしくなり、退散することにした。

この2年以上、家はもとよりスピーカーから音楽をほとんど聴いたことがない。
自分で演奏するか、生の民族音楽か、自然の音しか聴きたいと思わない。ひさしぶりのスピーカーの音は強烈だった。

帰り際、僕の演奏を聞いていたアラスカのアメリカ人のおじさんが話しかけてきた。
なんでもドキュメンタリー作家で、現在ビルマから国境を越えてやってくるタイヤイのドキュメンタリーを作っているそうだ。
それで僕の音楽を使いたいといってくれた。今年は僕は公開の演奏は少なくしていたが、どうやらテレビや映画で音楽を使ってもらえる年らしい。
しばらく話をしていたら、なんとタイに来る前に昆明で知り合ったベトナム語がぺらぺらのアメリカ人プロデューサーのおばさんの旦那さんだった。
うーむ不思議なものだ。


さて新年のプログラムは予定では12時間際にカウントダウンを始め、新年を迎えたらみんなに食事が振舞われるのだという。
とくにお参りというようなものもなく、僧侶もイベントが始まる前から姿を消していたのでどうも新年という感じがしない。
次の日の朝、9時くらいからお経を読むというので見に行ったが、知識人のおじさんが説法をマイクで言うくらいで、誰もお寺の仏像の前にはいなかった。
お参りに来る人もいなかった。

きちんとした新年はやはり村に行かないとわからないようだ。
ただ、日本と徳宏とタイとタイヤイ、それぞれの時間感覚のギャップが何なのか今もまだよくわからない。


コメント
コメントの投稿
 
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://asianmusic.blog50.fc2.com/tb.php/12-3db65ade
この記事にトラックバックする
 
 
 
 
 
 
 
 

copyright © 2006 People, Life and MUSIC all rights reserved.

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。