中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
ねじれることば


伝わらないことば。
ことばはいつも伝わらない。
どこかでへそを曲げてしまう。

距離が離れていても信じあえると信じる恋人、友人、家族…。
どこかで、ことばがねじれる。
音が空間がゆがむように。



ことばが通じなくても意志は通じる。
ことばが通じなくても感性が通じる。
そうあればいいと願う。

親友となら、多くを語らなくても、上手く語れなくても、感性が近いと心が交わる。
家族となら、多くを語らなくても、恥ずかしくて語れなくても、喧嘩しても、血の繋がりは消えない。

たくさんの美しい独り言を書く人が、
人のつながりを大切にする人が、
人の気持ちがみえなくなった。
人の気持ちを考えすぎるからか?

ことばが伝わっても、
交わる感性の周波数を変えてしまうこともある。
もう波は重ならない。

叙情的な遠く離れた人や土地への想いをつづった独り言が、
僕に郷愁を感じさせる。
愛着の感性は、対象が違っても同じだから。
ことばが詩的だと、意識の壁をすんなりと乗り越えられる、一歩引いたところにたつ冷めた目の自分が消えて、
詩的に表現された空間をすんなり好き勝手にイメージしてしまう。
そして勝手に感情を分かち合った気になってしまう。

そんなイメージの空間に浸らせてくれることばに、
僕は憧れ、嫉妬する。



ワン母は、文化大革命が始まる前、大躍進のときに結婚の約束をしていた。
相手は同じ村の男性だった。
その男性は解放軍に参加し、数年村を出た。

二人は手紙を書いた。
二人の手紙はうたのように韻を踏んだ詩だったろう。

ワン母が僕に言った。
「あなたには今はまだ愛がなにかわからないでしょう。
激しい気持ちが愛でもなければ、ただいとおしいだけが愛でもない。
私はどんなに苦しくても、ほら、今ここにいる。
あなたも、いつかその先の、そこにいることができたら、わかるはずだ。」


二人の若い頃の手紙は届いていなかったという。
そして、二人は別々に結婚した。
数年後、二人の間でわざと手紙を差し押さえた人間がいたことを知った。

誓いのことばはまっすぐだった。
でも、ことばは伝わらなかった。
二人のこころの波は重ならなかった。
いつわりないことばだったのに、こころはねじれてしまった。

狂気の十数年を乗り越え、
ワン母は恋のうたをうたい、テープになった。
人気は爆発、多くの人たちがそのテープのうたを擦り切れるまで聴いた。

それから30年後の今も、
ワン母と旅をしたり、
市場を歩いていても、
見知らぬおじいさん、おばあさん、誰かが、昔のテープの話をする。

「あなたのことばが本当によく心にはいってきました。」

何気ない一言に、どれだけの重みがあったのか。
今僕は思い返す。

美しいことばと、美しい声の裏側に
どれだけ恐ろしい記憶があったのだろうか。

ことばはここにも、どこかにも、生まれ続ける。
僕が憧れ、妬みたくなる、詩的なことばが生まれ続けることを願う。
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