中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
千里の道も一歩から


去年の初夏、僕がよく訪れる小さな盆地の田んぼのなかに、一基の仏塔の開眼式がおこなわれたという。

僕は思いをめぐらしていた。
風になびく青々とした稲穂の海のなかに輝く小さな黄金色の仏塔。
仏塔の頂に掛かっているいくつもの鈴の音が、穏やかなあたりの田んぼに響く。
どんなに美しかっただろうか。

今年の3月、僕は久しぶりにタイ族の村を訪れる。
一人の老人が仏塔の飾りつけの仕上げをおこなっていた。

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のろのろとした動作で、長い竹を一人でかついでは、仏塔の周りに足場を組み立てていく。
ゆっくり、ゆっくりと、一歩、一歩。

この仏塔は、誰の手も借りず、一人の老人が8年の歳月をかけて建てたものだ。


タイ族の人々は上座仏教を信仰する。人々は孫ができるくらいの年齢になると、男女ともに寺院に通い始め、戒律を受けて来世の転生のための準備をはじめる。
小さな盆地には、歴史上、仏塔が建てられたことはなかった。
仏塔を建てているという噂を聞いたとき、僕も半信半疑でいた。

2年前、僕は老人の家を訪ねて話をうかがった。彼は妻と、息子夫婦、孫たちと暮らす、ごく普通の農家だった。このときはレンガを買ってきてもらうために息子がトラクターで町と村を往復することはあっても、「すべて」自分ひとりで建てているとだけ聞いていた。ほかの村人が手伝うこともなく、「老人だから時間もあるので…」と物静かに言った。

僕は仏塔の開眼式には参加できなかったので、仏塔の出来上がり具合を見に行った。
ぼろぼろの衣服で作業をする老人に声をかけると、老人はゆっくりと組んだ竹の足場を下りる。
小柄で顔は皺だらけの老人に、僕はタバコを一本さしだした。

この老人は仏塔から歩いて15分ほどの山すそにある村に住んでいる。齢78歳になる。
70歳になろうというとき、老人は夢のなかで仏塔を建てるようにお告げを受けたという。

「本当にひとりでここまで建てたんですね」
「ああ、毎日ちょっとずつ、ようやくね」

はじめ、老人は仏塔の周りにきれいな水を流すために、自分の村の山の湧き水から水道管を引く作業を始めた。
村から仏塔までのあぜ道に、平鍬一本で水道管を埋める畦を掘りつづけた。
村から仏塔まで掘るのに6年もかかったという。

「今年、仏塔の仕上げをしているときに手を怪我して3ヶ月やすんだけど、身体は丈夫だよ」

僕はわずかながらのお布施をわたした。
「名前はなんだい?」
「日本から来たアイバオです」
そういうと、僕が外国人だということにようやく気づき、
「おお、それはそれは、あなたに幸せと徳がたくさんありますように」
と祝福の言葉をくれた。

僕はその場を立ち去ろうバイクに乗った。
陽はかたむき、時計は6時を回ろうとしていた。

老人は再びゆっくり、よっこらしょと足場を組み始める。

一歩一歩、腰が地面とつながっているような、ぐっ、と大地を踏みしめる歩き方で。
しばらく、僕は老人の背中を眺めていた。

人は言うだろう、「たかがこんな小さな仏塔」と。
若い職人たちなら数日で建ててしまうだろう。

僕は想像した。老人のゆっくりとした動作と、8年という長い年月を、つなぎあわせて想像した。

彼のごつい手を見る。一本の指の第二関節から先がなかった。
彼の硬く黒ずんだ足と手が物語っている、喜びでもなく、静かに、ただ「無心」「無我」であることを。

その老人の身体が語ることばに僕は静かな感動を覚えた。


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