中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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離散と再会

今年、コン父の妹が故郷を訪れた。

コン父の妹はコン父と同様、生年月日を覚えていないため年齢不詳だが、およそ70歳になるという。
中国が大躍進政策を開始した頃、家族と親戚は故郷を捨ててビルマに逃げたのだった。
当時、コン父は中学生くらいだった。コン父は山を開墾した一族として由緒ある家の出自だった。家は富豪として地位もたかく、貴重な財産であった多くの牛を飼っていた。解放からしばらく月日がたつと、共産党による社会主義政策によって富裕層は財産を失い、少数民族が住むような地方でさえ混乱し始めた。コン父たちの一族も迫害を受け、ビルマに逃げるしか手段はなかった。

しかし、コン父は「学びたい」という向上心からひとり中国側に残ったのだった。家を失っても共産党を信じて勉学にいそしんだが、家族が海外に亡命していたため、文化大革命期には「海外とコネクションがある」という理由でずいぶんひどい目にあったという。

文革が終了した頃、コン父の母親がコン父を心配して中国側にもどったが、しばらくしてコン父の妹が突然やって来て母を連れてビルマに帰ってしまった。

2000年ごろ、コン父はビルマノミッチーナに妹を訪ねた。すでに母は他界していた。
そして今年の2月、コン父の妹は30年ぶりに中国を訪れたのだった。

孫娘を二人連れて、車にゆられること一日。道路も整備されて今ではたった一日で着いてしまう。
コン父とその妹は1週間のあいだ朝から夜までずっとしゃべりつづけていた。
コン父は嬉しくなってつい調子に乗って酒を飲みすぎ、悪酔いしていた。

コン父の妹は50年ぶりくらいにかつて家があった山に行った。
今では政府の政策で村そのものが移転させられ、うっそうとしていたはずの森は切り開かれ、その記憶のなかの後影すら残っていない。
結局、コン父の妹は山の上を見上げただけで、跡地までのぼらなかった。

もうそこには家も、村も、森も、動物も、なにもかも、記憶の断片と感性とをむすびつけて身体や血を熱くさせてくれる記号はなにも残っていないのだ。

今はビルマに家がある。孫もできた。彼女は故郷を失ったが、すでに子どもたちが帰る家、子どもたちの故郷を守る母親なのだった。

「私にはミッチーナの郊外に自分の広い山と田畑がある。家に帰って作物の面倒をみなくちゃいけない。もう家に帰ろう。」
ここには未練はないようだった。コン父たちはよく神話を口にして言っていた。カチン族はずっとヒマラヤから移動を繰り返してきた民族なのだ、と。

彼女には手塩にかけた、何年もかけて育てた自分の「土」があるのだ。


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