中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
世界と語りかけること①  ビデオ編集で思い出したこと

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イギリスでの上映とは別の新しい映像を発表する機会があって、今僕は数年前に撮影したビデオの編集にとりかかっている。作品の内容は2008年5月にワン母たちが日本に来てタイ族のうたをうたったこと、俳句のように移動先で即興でうたで印象や感想を記憶したこと、そのひとコマを作品にしたい。

過去の記憶を映像を見ながら再経験できることは、ここまで嬉しいことだとは思いもよらなかった。なぜなら、当時、ワン母が僕に独り言のように、僕にはただの独り言のようにしか聞こえなかった発言の数々が、今になってようやく理解することができるようになったからだ。

(しかし、画面をみていて僕に強烈な印象を呼び起こすのは、画面に撮影されていないその前後の記憶が脳裏に蘇り、その時の感覚からだ)

ワン母が日本を歩いて見て、聞いて、感じていたこと。ワン母は日本に来てただ受動的に旅していたのではなかった。環境の違う日本において、積極的に世界と対話しようとしていた。



ワン母がつぶやくように、僕に語り教えてくれたこと。それらは単なる知識だとおもっていた。
この道端にどんな食べられる草が生えているか、あそこにはこんな草があった。すぐには食べてはいけない。人が草をちぎった痕跡のないところでは、その草はおいしくない、最初は何度か採って新しい芽を待つこと。どのように料理すべきか。日本の限られた野菜を使って調理するには、村から持ち帰る調味料は何が必要か。なにが薬になるのか。道がごみひとつないくらいきれいなこと、土ぼこりの村の道だって昔はきれいだったこと。手入れされた日本の植木と村で大切にされてきたガジュマルや菩提樹のこと。それが今切り倒され売られていること。精霊はかつては怒ったのに、今はもう怒らないこと。日本の土ではおいしい作物が育たないだろうということ。街道では車が多くてもクラクションひとつないこと。など…。

知識だと、そう解釈しても問題ないはずだ。ワン母もそれを「知っていること」として僕に教えたのだから。
いやしかし、そうではない。ワン母が僕の目の前で実践したこと、語ったことは、単なる知識の伝授ではなかった。それは、世界と繋がる技法だった。

ワン母の動作や言動は、単なる日本の感想ではなく、世界と繋がっていること、繋がりのあり方を表現していた。


話はずれるが、僕は日本ではほとんど毎日、博物館の一室で本を呼んだりしらべモノをしたりして時間を過ごし、自然と繋がっていない時間がほとんどだ。四方は壁に囲まれ、自然と断絶されている、かのように見える空間で過ごす。
いつのまにか、自然から情報をとりいれることはなくなってしまった。天気予報はネットで見る。ニュースはネットで見る。聴こえてくるのは、人と人が話すおしゃべりくらいだ。それもこの囲まれた空間の中でのこと。
村では毎日歩き、動き回り、話をし、いろいろなことを教わったし、調べていた。充実していた。しかし、そこにいても、僕は気づいていなかった。残念ながら。

気づいていたが、その感覚を僕は身体化することができないでいた。説明できなかった。

東北を地震と津波が襲った。僕はその場にいなかった。仙台は僕が高校を卒業するまで暮らした町だった。のんびりした、いい町だったが、僕は18、19をすぎてから今まで数回しか帰らなかった。
5月初め、僕はその爪あとを見に行った。道路は通れるようになっていたが、道の横にはゴミや瓦礫が山積みになっていた。特に工場地は2ヶ月近くたっても混沌としたままだった。海から遠いところにいるのに、不気味な潮の臭いと腐敗臭がした。
これまで僕らの生活空間は、自然と分断され、人間が自然を飼いならしたかのように、自然を僕らの空間の認識の外側に放っていた。津波がおそったとき、僕らの生活空間は自然のなかにあることを改めて実感した。水は水道から出ない。ガスはない。人間は世界の一部だ。


ここで繰り返すこともないが、ワン母はタイ族のあらゆる「うた」といった声の技法に精通している人だ。いつも掛け合いうたで人々とコミュニケーションをとる。ある人は、うたを娯楽だという。しかし、僕には娯楽としてのうたという解釈は腑に落ちない。僕はなぜそこまで人々がうたをうたい、うたを食い入るように聴くのか、よく分からないでいた。そして、うたをどのようにうたっているかも、よくわからなかった。しかし、そこには別の何かがあるような気がしていた。


あの山でどんな山菜がとれるか、どこに、いつあるのかよく知っているおばあさんがいる。人はそれを知識をもっているという。
その山のそばで生活していない、壁に囲まれた空間で生活している僕は、それを知識だと認めるだろう。
僕は身体を閉じている。世界が働きかけてくる語りや何かの力に鈍感でいる。
でも、そこで、その環境や世界の一部として生きている人たちは、その場の声を聴いている。雰囲気でもいい、一年のサイクルのなかで自然の変化を感じている。


ワン母は僕が暮らす日本、それもこの都市、博物館の周辺などで、世界に語りかけていた。
僕はたまに散歩したりすることはあったが、たまに世界に気を投げて雰囲気を楽しんだりしていたが、どこか、そこの世界と断絶していた。

たった数日だった滞在なのに、ワン母は僕にこう語りかける。
「おまえの博物館の庭の、あそこに生える草は、あとすこししたら食べごろだろう」と・・・。
ワン母はすでに遠く離れた大阪でも世界と語り合う接点をもっている。

タイ族のうたをうこと……
日本の俳句をよむこと……

それは自分が持っている視点をずらすことなのだと思った。
言い換えれば、私の視点ではない、別の視点を使うこと。
草の視点でうたをうたい、
掛け合いうたの相手の視点でうたをうたい、
精霊の視点でうたをうたい、
鶏の視点でうたをうたう…。


ワン母たちにはそれが可能だ。世界に語りかけ、世界の語りを感じてきたから。
世界のあらゆるものは自分の一部でもある。
うたは少なくとも、うたう相手の視点をいつのまにか獲得することだ。
聴く人々も、うたっている人たちの視点を獲得していく。
そうしていろんな視点を獲得して、繋がりは世界をつくっていた。

これはただのレトリックなのか? うーん、しかし、精霊やシャマンがうたをうたう、
そのことを考えると、そうともいえない…。

(つづく)








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