中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
ある老人の涙


今年の春節にひさしぶりに訪れたタイ族の村は、立派なコンクリートのお寺が建てられ、村人達は新築祝いの準備で大忙しだった。村をあげて盆地のあちこちのタイ族の村人たちを招いて仏教儀礼を行い、食事を振舞う。かつて僕が毎日のように過ごした木造の寺院の面影は跡形もなくなった。盆地のなか、その周りの山には寺院の柱となるような大木はもうなくなってしまった。昔話のなかにはたくさんの森があったというが、中国建国後の伐採はそうとうのものだったようだ。

僕が長期間滞在していた頃、村のイェサムおじいさんから竹細工を習っていた。僕が竹細工をするのはいつもお寺だった。イェサムおじいさんはかつて行政村の村長をしたこともあったひとだった。今は若い村長が地元政府の接待に追われているだろう。イェサムおじさんは、村の寺院の守をする4人のうちの一人だ。二人一組で一週間交代で寺院に寝泊りし、管理する。そのあいだに村人が供物をもってきたりすると、寺守の老人がお経をあげて仏に供物を捧げる。この地域の寺院にはめったなことでは僧侶が止住していないから、仏教知識のある老人が職能者として仏と信者の媒介役をになう。

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その寺守の老人の中に70歳すぎの一人の老人がいる。ここではコーカムおじいさん、としよう。
ひょろっと背が高くやせ細ってはいるが、大きな目の鋭い眼光が印象的だ。歳のせいかすこし前かがみに歩く。寺に寄進されたお金の管理など、仕事はきっちりする人だ。イェカムおじいさんとコンビで寺守をする。

コーカムおじいさんには10歳くらい離れた妻がいた。村の女性の典型的な感じの、我が強すぎず、明るくきさくで、おもいやりのある人だった。「アーイバオ、どこにいくんだい? わたしたちのうちに遊びに来なさいよ!」といつも声をかけてくれた。

老夫婦は文化大革命以前にあった「村の心」のそばの家に二人だけですんでいた。家には二人以外に誰もいない。コーカムおじいさんには息子が二人いるが、一緒には暮らしていなかった。周りから話を聴くと、コーカムおじいさんとその妻は再婚同士だった。それが数年前のことだったので息子達は老人になって結婚するなんて、と反対したという。
コーカムおじいさんの奥さんは早くに亡くなり、ずっと独り身だったようだ。今の妻はこの村出身で若い時に外の村へ嫁いで行ったが、子どもが成長してから夫と離婚して生まれた村に身を寄せていた。

女性ので戻りはつらい。若いうちに離婚すれば、親も健在で面倒を見てくれるし居場所があっただろう。しかし、年老いてからの離婚では、生家に親はすでにいないし、残された家は兄弟どちらかの夫婦が譲り受けている。そこはもう自分の家ではないのだ。

そんな様子に同情したのだろう。独り身だったし、昔からの知り合いだったから、コーカムおじいさんは結婚を申し出た。息子二人は反対し、一緒に住んでいた息子の長男夫妻は村のはずれに家を建て出て行ってしまった。親子の仲が悪いことは村の噂だった。

それでもコーカムおじいさん夫妻はひっそりと、静かに平和に暮らしていた。老人で田んぼを切り盛りできないが、菜園で野菜を育ててあまったものを売ったり、おばあさんは寺院用の供物となる幡などを作り、おじいさんは竹細工で籠を編んだり、仏教経典の写経をしたり、寺守をして、食べ物に困ることなく、日々を幸せに暮らしていた。

僕は去年も二人を訪ね、仲のよい姿を写真にとってプレゼントした。おばあさんはニコニコしてうれしそうだった。

そして今年―、

ひさしぶりに会う老人たちに挨拶をし、笑顔がたえなかった。
寺守をしているコーカムおじいさんとも寺で会った。みんな忙しそうに準備をしていた。
僕はそんなおり、コーカムおじいさんと再会して話をしていて、「おばあさんは元気ですか?」とたずねた。

コーカムおじいさんは突然、僕の目の前で泣き出した。

去年の春節をすぎて、僕が帰った後、夏に急に体調を崩してそのままなくなってしまったのだという。
身体もふくよかで、あんなに元気にしていたのに、死は突然だった。

「せっかくの寺院の新築祝いで、おまえたちのおばあさんはとても楽しみにしていたんだよ。でも、急に逝ってしまった。」
コーカムおじいさんは、僕の前で泣きながら話をした。

イェサムおじいさんが「アー、すぎたことだ。またそんな悲しんで…」と言った。

イェサムおじいさんが言うには、おばあさんがいなくなってから、彼は一人であの家で生活している。

「ご飯も彼一人では大変だから、なにかと寺で食べるように誘っている。
彼の息子達はいまも世話をみないんだ。息子の嫁がたまに気にかけているようだけどね。」

そして黙々と新築祝いの準備を進めるのだった。

村の日常は、日常そのもので、にぎやかすぎず、あまりにも平和に何もなかったかのように時間が流れている。
僕にとっては美しい思い出が多いから、こうした出来事はガラスに亀裂が走るような痛みの感覚を覚える。
平穏な日常が厳しい現実を際立たせる。

コーカムおじいさんの老け込んだ顔が、僕には、悲しすぎた。

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