中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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間(あいだ)にあるもの ―ひょうたん笛と葫芦絲(フルス)の狭間で揺れる人びと ④


2001年秋、僕は大学を卒業し、雲南をあとにしてタイ・チェンマイへ向かった。
そして、しばらくしてからチェンマイで知り合ったタイ人の友人達と一緒に演奏するようになった。

北タイはかつてラーンナー王国が栄えていて、歴史的にビルマ・チェントゥンのタイ族や雲南の西双版納のタイ族、ラオス北部ラーンサーン王国が栄えたルアンパバーンともつながりが深い。この地域はどこも「タム文字」を使っていたし、言葉の方言さもさほど大きいわけではなかったようだ。

大抵、ここの人たちはビルマのタイ族のひとつ、「タイ・ヤイ」(シャン)のことは知っていても、徳宏のタイ族のことは知らない。
だから、毎回僕の演奏する「ひょうたん笛」の紹介は「雲南の西双版納タイ族の楽器です」といわれてしまう。
彼らからすれば、中国のタイ族は西双版納くらいしか思い浮かばないのだ。



125-2517_IMGのコピー



かつて村にあったエン先生の工房。いまはもうない。2004年3月撮影


  
同じことは中国国内でもいえる。かなりステレオタイプ化されたイメージが流通している。
中国で「タイ族」といえば、
「水かけ祭り」「女性のセクシーな民族衣装」「上座仏教」「出家した子どもの和尚」「高床式住居」「熱帯」そして「西双版納タイ族」。
ほとんどのイメージが西双版納特有のものだ。

ちょっと前までは、多分今も、「徳宏タイ族」なんて知る人はすくないだろう。
西双版納ははやくから国内外で知名度が高く、バックパッカーたちが多く集まる地域だった。
やがて、国内の観光客も増えて、今では雲南の観光開発は麗江、大理とならぶ規模だ。


エン先生がフルスを売り出したのも、何を隠そう、生まれ故郷の徳宏ではなく西双版納での活動があったからだ。
徳宏はどうも民族文化にたいしては関心を示さない地域だ。


フルスの象徴性もますますステレオタイプ化されて再生産されていく。
「タイ族の楽器」と紹介すれば、「西双版納タイ族の楽器」として認識されてしまうのだ。
もちろん、国家の民族政策では「タイ族」はひとつだ。それ以上でも、それ以下でもない。
だからどんなイメージを抱こうが間違いではない。


しかし、生活のレベルで比較するとタイ族といっても、かなりの差異がある。
徳宏も西双版納も単語は似ているが、お互いの言葉で会話しようと思っても基本的に通じない。
文化的特徴でも、徳宏はかなり漢族文化をとりいれていて、儒教的慣習も結構強い。
上座仏教といっても、お寺には僧侶はほとんどいないし、「出家」の慣習もない。
「一時出家」という概念はなく、「一時出家」を積徳と考える西双版納やビルマ、タイとは正反対だ。
「出家」は一時ではなく死ぬまで。
さらに、お寺には観音菩薩や七福神まであったりする。
気候も年中熱帯気候ではなく、夏はちょっと暑い(日本のほうが暑い)、冬は寒い。


「タイ族」の先入観を打ち破ろうと、せっかく流行した「フルス」を他の地域に取られないようにと、徳宏政府はやっきになって「葫芦絲の里」など文化政策を打ち出すが、偏見からの脱却にはなかなか結びつかない。
ましてや、あきらめ、逆にそのようなイメージを徳宏にも取り入れようとする。同化へ向かおうとする。


ただ、もっと普通の人が気付かないところで、少し状況の変化が見える。
数年前まで「タイ族料理」といえば「西双版納タイ族」の料理が出されるレストランがほとんどだった。それが、近年はどこにいっても「徳宏タイ族」料理のレストランが立ち並ぶ。

僕自身も感じるが、徳宏の料理は西双版納よりも断然おいしい。調理方法やメニューもかなり豊富だ。

最近は、中国各地に「徳宏タイ族」料理レストランがある。これは状況がすこし変わってきた証拠かもしれない。
それでも、レストランのアルバイトの女性は徳宏の民族衣装を着ることはなく、西双版納の衣装を着ていたり、お客さんは相変わらず西双版納タイ族の料理だと思っていたりする。



そもそも何が違い、何が同じなのか、そういったことは部外者にはあまり関係ないことだ。
アイデンティティを主張するのは、そして主張するかどうかは徳宏の人たちが決めることだ。

あれこれの文化は違うから区別しよう、といった姿勢がなければ、イメージを自由に操作できる部外者にとって新しい文化を創り出す契機は常に開かれている。

チェンマイはずっとタイ族文化の中心地という誇りを持っている。チェンマイでは他の地域でも見られる様々な伝統文化の要素を洗練し、継承してきた。チェンマイでは、伝統音楽や舞踊などに触れる機会も多く、多くの若者達が伝統を担っている。そして、良くも悪くも、伝統を伝統らしく創り変えるバイタリティーがある。

多くの若い音楽家がフルスを気に入って、最近ではフルスを伝統楽団に取り入れて演奏したり、伝統曲を演奏したりしている。最近のチェンマイノ伝統衣装の変化を目の当たりにしただけでも興味を覚えると思う。チェンマイっぽいのだけれど、とても斬新で、奇抜で、ちょっとやりすぎ感がある。
新しいラーンナー文化を創り継承しようとするたくましさがある。
やがて、「フルス」はチェンマイの新しいラーンナー文化の一部になるだろう。


文化はハイブリッド化する。それは避けられない。
だが、繰り返しになってしまうのだけど、長い歴史のなかで培われていた音の感覚や美の感性が、失われてしまうのは残念だ。

徳宏の田舎の友人たちは、ここまで国境を越えてフルスが動き回り、受容され、在り方が変化しているなんて想像できないだろう。自分たちの境遇に不満を漏らすこともあるだろう。

僕の、小さな村の老人の家の囲炉裏端で話しあった記憶、聴いた音の記憶…。

その記憶と経験を糧に、一歩ずつ踏み出す。
小さな村から、近くの村へ、多くの村へ、地域へ。

そして、やがて地域と民族を超えて、国境を越えて、国を越えて、いまでは世界というスケールでフルスの在り方をみるようになってしまった。

遠くまできたもんだと、一息ついてみると、やっぱり僕は振り返りたくなる。

小さな村の囲炉裏のだんらんを。


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