中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
分散する「私」の魂 ②


僕はどれだけ自分の魂を分離させてしまっただろうか?

僕は思い出せない。失った魂のこと。

記憶はことばにして人に伝えることが出来る。
でも、経験そのもの、生の感覚や感情は、言説にしようとすると、あまりにも陳腐なものになる。

記憶はとても主観的で、人に客観的に伝えることは難しい。


僕の記憶を他者と共有することはできない。
でも、僕らはモノや場所や出来事を記憶の源泉として「何か」を共有する。
モノや場所に触れること、経験すること、そこで何を感じるか、人によって違う。

僕らはモノや場所や出来事を記憶する際に、なんらかの辻褄あわせのような情報をつけ加える。

例えば、タイ族のおばさんたちの井戸端会議での一こまを思い出すと、

あそこの道の川辺には「フーシーガイ」(という葉っぱ)が沢山生えていて、よく人が摘むから新鮮な芽と葉が得られる(=つまり、いつも新鮮で、おいしい。調理に向いている葉がある)。


実際に内容が本当かどうかは、その場に赴いた人、行動した人だけが経験することだ。
もし、そこで葉っぱを摘んで、料理して、「おいしい」と感じれば記憶(その場所と情報)を共有したことになる。
「不味い」と感じると、その場所について忘れてしまうか、あるいは共有されるが「不味い」という感覚が記憶される。


知識として知っていることと、その場に行って自ら(自分を開いて)経験したことでは意味が全く違う。

だから、墓参りに誰かと行ったことは覚えていても、感覚をその場に開いていないと具体的な内容は覚えていない。
老人があそこはこうだっただろ、と言っても僕には覚えがない。老人が魂の一部をそこで失っていても、僕は周りの状況を把握せずにいたから、なぜそうなったのか理解したくても理解できない。

老人はその場所で感覚を開いて経験していたが、僕はそうではなかった。
だから出来事は事実として「そこに行った」記憶を共有しても、その細部の深さは全く違う。


経験することは、感じることだ。
感覚をその場所や出来事に開いて、身体で感じること。


2008年、ワン母が日本に来た時、彼女は道端や町、公園を歩いている時、身体を開いて感じていた。
だから、僕たちが歩いた路について、彼女はどこにどんな草があり、食べられるのか、食べられないか、食べられるようにするにはどうしたらいいのかを覚えている。

今でも。


ワン母は徳宏に戻り月日が流れても、僕と電話越しに話していても、たまに「あの場所」を思い出す。

「あそこに食べられる草があった」

しかし、
「きっと誰も摘まないだろうから、そのまま食べたら不味い。
何度か摘んで、新しい芽を待たなきゃいけない」
そんなことを言う。

彼女は日本を旅した経験を、そんな道端の環境に気を配っていた。
水族館に行ったこととか、機械のこととか、おぼえていない。
よくおぼえていることは、彼女の基準で「つかえるもの」に触れたことだった。

そして、その場でうたをうたって感想を声に出す。
日本の俳句のようにして記憶に残したこと。


人の魂はしょっちゅう、ふらふらと身体を抜け出していってしまうという。
もしかしたら、ワン母がこうして日本のことを、鮮明に、感覚に鮮やかなように記憶しているのは、彼女の魂がいまも日本のどこかをさまよっているからかもしれない。

ワン母の魂のかけらは、日本にも「いる」のだろうか?
いつか、呼び出されて遠い彼方へ帰ってしまうその日まで。

よいことなのか、わるいことなのか、僕にはわからない。

でも、彼らが言うように、僕の魂の一部はもう村のあちこちにいるだろう、と言うのなら、

僕は、嬉しい、と応えるだろう。


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