中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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情熱の結晶

先日、2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭が閉幕した。

今回のコンペティション部門の受賞者の中に、13年来の付き合いの親友がいる。

優秀賞を受賞した『阿仆大(アプダ)』(http://www.yidff.jp/2011/ic/11ic01.html)の監督、和淵(ホー・ユェン)だ。

彼は僕も長らく関わってきたYUNFEST(中国雲南ドキュメンタリーフェスティバル)の創立メンバーでもある。
2001年夏、ホーユェンともう一人の友人は僕を主人公にしてドキュメンタリー作品を撮影する計画を立て、そして撮影の途中で挫折した。

あれから10余年。
ついに、彼の静かに燃える炎のような意志が、日常生活を詩的に読み替える情熱が、作品というかたちを纏って世界にひらかれた。


たしか、2001年の夏だったとおもう。

僕がしょっちゅう「ひょうたん笛」(フルス)を探してあちこちの少数民族の村を歩き回っている姿を想像して、興味を覚えたのだろう。
失われていく旋律と楽器を求める僕とタイ族の文化と生活を撮影したいと申し出た。

僕は当時、たまに酔ったいきおいで飲み屋で「ひょうたん笛」を演奏したりしていた。
ずいぶん前に僕が演奏した「古いしらべ」を聴いた和淵は、ずっと不思議な旋律の魅力にとり憑かれていたという。僕らは感覚のこと、音楽のことを感じるまま、思うまま話し合った。
直感的な、想像力を刺激するやり取りがとても心地よかった。いまも、和淵との話は芸術について、しかも生活に根ざした本来の芸術の生活くささを掘り起こすような作業を協働している気がして、とても刺激的だ。

あの頃の僕らはお金も機材も無かったので、すべてを知人達から借りなければならなかった。
彼らは詩人の于堅(Yu Jian)の賛同を得て、そしてよき理解者たちからビデオカメラなど機材を借り、撮影に望んだ。

もう一人の知人、李(Li Xin)は当時テレビ局に勤めていた。そこで、なんとか旅費の一部でもでないかと、テレビ局にドキュメンタリー撮影の話をもちかけたのだった。
出発の前日、僕らはテレビ局に呼び出された。なんでも企画が面白いので、トップの人間が会いたいというのだ。

嫌な予感がしていた。
案の定、トップに会うと、僕の風貌が、(当時は若かったので…)長髪であまりに日本人に見えないというのだ。

「撮影するならスーツを着ろ」、と。

僕が反対しようとすると、和淵たちが僕を制止した。
結局、彼らはテレビ局の申し出を断った。
そして李はテレビ局を辞めて撮影にのぞむことになった。



2006 伊藤悟


コメント
やっ
 さとるくんのブログの中に
 いつも変わらない大切なものが
 流れています

 読むとそれを思い出し
 懐かしく
 いつも新鮮。

 そろそろ次の更新〜

 たのしみにまってまーす。
 
 
2011/10/27(木) 00:29 | URL | きょうこ #-[ 編集]
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