中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
情熱の結晶

10年前、中国でも映像編集がデジタル化してビデオカメラがようやく市販されるようになって間もない頃、友人たちにはお金も機材もなく、ただ情熱と意思だけがあった。

僕自身、その当時に劇映画は見ていたけれど、和淵や李(リシン)が取り組もうとしていたドキュメンタリーにはまったく関心が無かった。第1回目のユンフェスト(雲南ドキュメンタリー映画祭)も興味が無くて、どこかの村に行っていたと思う。

その撮影がどれだけ大変なのかも、よくわからなかった。
僕ら3人の旅が始まる。寝台バスにのって昆明から一日かけて徳宏州を目指した。

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リシンは僕にとって兄貴のような人で、とっつきにくい性格だからよく周りに敵をつくる孤高の人だった。彼のモノ/ものを見る眼や判断力は素晴らしい。

和淵とは妙に感性の波長があって、感覚的経験の話や日本や中国の昔の詩人や芸術家たちの話をよくする友人だった。
僕にとって、二人に出会えたことは一生の宝だ。


徳宏に到着し、そこから更にバスに乗って僕がひょうたん笛と「古い調べ」を探して回っていた小さな盆地、ムンヤーンに向かった。
その季節、ムンヤーンは雨季に入り、到着した日も雨だった。

彼らはボロボロの傘をさして竹やぶの中を歩く僕の後姿を撮影していた。


タイ族の友人の家に滞在して数日が過ぎると、いやおうなく奇妙な感覚におそわれた。撮影される被写体になることの不自由さ。恥ずかしさ。
近かったはずの友人との関係が微妙な見えない壁に塞がれていく感覚。
和淵とリシンはよく撮影のタイミングや構図のこと、撮影後の編集のことで口論になることがよくあった。
二人の関係が少しずつギクシャクしていくにつれ、カメラの前に立つ僕の心もストレスがたまっていく…。

ついに和淵とリシンは撮影のことで喧嘩となり、最終的に和淵はこの撮影から降りることになり、一人昆明へ帰ってしまった。
リシンはその後もしばらく撮影を続け、3週間ほどして昆明に帰っていった。

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あの頃に撮影したテープは数十本あるだろう。
リシンは和淵と喧嘩してしまったことを後悔していたようで、一緒に編集できないなら作品をつくらないと誓った。そして、その作品は未だにつくられていない。
和淵も何か釈然とせず、編集することができなかった。


いま、僕自身も彼らの影響を受けて、カメラを持って作品を作る側に立つようになった。
リシンは教師として映像を教え、何人ものすばらしい若きフィルムメーカーを育てた。
和淵はゆっくりと時間をかけながら水墨画を書き詩をうたう古人の感覚を醸成した。

あれから10年経ち、和淵は再び「うた」をテーマにして作品をつくることを決心した。
「あれからずっと、おまえが初めて演奏して聴かせてくれた「古い調べ」の感動を探していた」
彼はそういっていた。

今年、ユンフェスと山形映画祭で受賞した『阿仆大(アプダ)』は、はじめから計画して撮影されたものではなかった。
もともと主人公アプダの父親で、その地域では有名なナシ族の民間歌手のうたをうたわなくなった老後の生活を撮影する予定だったという。和淵は撮影をはじめてすぐにアプダの不思議な魅力にとりつかれた。
アプダは歌手ではなかったが、彼は和淵がずっと追い求めてきた水墨画の世界に生きる仙人のような感性をもった人間だった。
和淵は作品の中で見事にアプダが生きる世界観と感性をとらえ、描き出していたと思う。


山形映画祭のある晩、世界各地の監督や観客たちがあつまる飲み屋の一角で酒を飲みながら、喧噪の中で僕らはつぶやくように会話した。

僕はたぶん、こんなことを言ったとおもう。

僕がタイ族の即興のうたから学んだこと。うたは、見える世界をうたい始める。ゆっくりとしたリズムで、時間をうたの空間の一部にとりこむ。うたが流れているあいだ、世界は時を失ったようでもあり、うたをうたう人、うたを聴く僕たちは時が永遠につづくような流れの中に身も心もつかっていく。
やがて、うたは見えない世界をうたい始める。きっと表現する内容、それは想像や当てずっぽうといえるだろう。
人の外見ではなく、内面の世界、人の性格や気質を想像してうたう。
うたい手は、相手についてうたいながら、やがて自分を知り、相手を知る。
時々、うたは深く潜れずに水面に浮かび上がってきてしまう。だけれど、うたい手は何度でも海の奥深く、深くへと潜ろうとする。
聴き手はただ聴くだけではなく、うたを想像し、うたを現実のように生きようとする。
うたい手と一緒に海の深くへ潜っていく。
水面に浮かび上がってしまうことがあっても、決してすぐにあきらめない。
何度でも一緒に深くへ進もうとする。そのプロセスはとてもゆっくりだ。
何時間でもうたはつづく。

和淵は、そのことを月に喩えた。
けっしてつかむことができない月を、人はつかもうとする。それは物理的な挑戦を言っているのではない。古人は詩や絵で月をつかもうとした。それができたんだ、と。


そして、しばらくしてから彼がつぶやくように言ったことばが、僕は嬉しかった。
「いつか、あの10年前の気持ちをかたちにしよう。いや、そうするべきなんだ」
と。
コメント
映像みたいっ
 自分の中の奥深く

 自分とも人とも境界線のつかないよ うな部分にまで繋がることができたなら

 うたが日常にある世界は、決して孤独を感じることなく、世界とつながっている喜びと安心に満たされるのだろうなぁ。

 音楽家や芸術家だけに許された特別なことではなく、
 日常の中で誰もが享受できる出来事というのが
とてもすばらしい装置だと思います。

 それも昔の話になってしまったのだろうか。


 そういう感覚、後世に伝えていくためにも、ぜひこの世の中に生み出してくださいっ!

 
 
2011/10/27(木) 22:26 | URL | きょうこ #-[ 編集]
Re: 映像みたいっ
きょうこちゃん

久しぶり。お子さまは元気かな?

なんだか、あなたのひとことに、僕はこころが救われた気がします。

ありがとう。
 
 
2011/11/02(水) 21:32 | URL | サトル #-[ 編集]
 魂がいろいろ分かれるとしたら
 
 わたしの魂の一部は
 ひょうたん笛の古い調べに完全にとりこまれてしまったよ~

 あの 震える旋律はなんだろうね。

 こどもは1歳になって元気だよ。

 ついこの間ね

 高野山でダライラマのお話を聴く機会があり いってきました。

 さとるくんの事を思い出しました。

 そんなこんな、またお話しましょうっ
 
 ブログ書き続けてね~
 
 
 
2011/11/08(火) 19:05 | URL | きょうこ #-[ 編集]
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