僕が訊ねて行ったその日の夕方、彼は知人の家でひょうたん笛の「古いしらべ」などの数曲を録音する予定だった。
ちょうど、彼は「古いしらべ」を改良されていない、昔ながらの作り方の古いタイプのひょうたん笛で演奏したいと思っていた。
それで、この日彼はずっと古いひょうたん笛を作ろうと竹に向かって格闘していた。
彼は老人たちから作り方は聞いていたが、現物は見たことも、触ったこともなかった。
不安そうに、僕にできた笛を渡す。
「違うね。副管と主管の音がばらばらだよ。古いタイプでも、副管とこの音は同じ音に調律しなきゃいけないんだよ」
僕はアドバイスする。
彼は不機嫌な顔をすることなく、とても喜んだ。
そして嬉々として再び笛を作り始めた。僕自身はずっと笛を作っていなし、彼のようにすばやく小刀を扱うことは出来ない。彼は手早く寸法やリードの位置を調整し、3回目にしてようやくある程度納得できる笛ができた。
「俺たちはタイ族なのに、日本人のお前ほど自分たちの伝統のことをよく知らないんだ。
こんど村に帰ったら、老人たちに直接教えてもらうよ。
また時間があるときに、今度は別の地域のひょうたん笛をつくろう。教えてくれよ。」
彼の心はまっすぐだ。エン先生とそっくりの顔に情熱がみなぎっている。
それを支える美人の奥さん。
そしてもくもくと仕事をこなす弟。
エン先生にはなかった信頼できるパートナーたちがいる。
彼の演奏する姿も、また、エン先生にそっくりだ。
ただ、彼の演奏は、エン先生よりも繊細で、柔らかい。もっと力強く、生き生きとしてもいいかな、と思う。
晩年のエン先生の音色は緩急が非常に豊かで力強く、生き生きとした演奏だった。
彼の優しく繊細な性格のおかげだろう、彼の作る笛はすでにエン先生にもおとらない。
故エン・ダーチュエン(哏徳全)先生
エン先生は有名になったがために、晩年、販売する笛のほとんどを自分では作らなかった。
だから、僕にとって、量産された笛や先生が忙しい時に頼まれてなんとか作った笛は、副管と主管の音量のバランスが悪かったり、リードが固めに作られることが多々あって、不満だった。
アーイ・スとの対話のなかで、感覚的な音の調整について、彼はことばにならない感覚をうまく音に反映させてくれた。
僕自身の好きな音色の笛を、彼がつくってくれること、つくれることに、僕は感謝した。
アーイ・スのつくる笛は、エン先生の欠点をすでに乗り越え、音のバランスも絶妙にいい。
特に、僕ら演奏に熟達した者にとって、彼が上級者用に薄いリードでつくる笛はとてもいい音を奏でることができる。
繊細な息遣いをすればするほど、薄いリードの音は演奏者の感性にこたえてくれる。
彼もそれを知っているから、柔らかく演奏するのだろう。
「とにかく修行を続けるんだ。
村の家も工房にしようと時間があるときに改修している。
いつかは笛の生産は村で、俺は演奏に専念して、みんなにひょうたん笛を聞いてもらいたい。
今は笛の音色の『韻味』と心を探しているところかな。…」
彼のまっすぐな意思と純粋さに、希望を感じる。
たとえそれが、挫折を繰り返したエン先生と同じように厳しい道のりであることを、僕らは知っていても、
彼なら着実に、たとえ有名にならなくても、最高のひょうたん笛とその音色を後世に継承することが出来るだろう。
新しい時代の息吹を、ここに感じた。
C調のフルス(葫芦絲)
数本持ってきました。希望する方がいればご連絡ください。
コメント
新年おめでとうございます
昨年はなかなかコメントできませんでしたが、いつも読ませていただいてました。
エン先生の甥ごさんご自身が笛をとても愛していらっしゃるのですね。年末にミャンマーに旅行した際、一人の操り人形遣いに出会いました。彼はその時、たった一人の客の私のために30分演じてくれたのですが、それは楽しそうで、人形劇が好きでたまらない思いが伝わってきました。
自分の担った伝統を愛せるのはすばらしく、羨ましいことです。いつか、その笛の音を聴きに行きたいと思います。
今年もよい演奏会をなさってください。楽しみにしています?
2012/01/01 22:17 by Manami URL 編集
2012/01/04 01:03 by 亮介 URL 編集