中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
ワン母が呟いた引退



前回の旅のエピソード。

いつもなら春節にあわせてワン母のもとに帰っていたけれど、今回は親戚でもある僕の友人が結婚するということで早めに村を訪れた。
残念だったのは、ワン母が人前でうたを歌う姿を見ることができないことだった。
毎年春節になると、この地域のタイ族の人びとは盛大な仏教儀礼を行う。例えば、村の寺院の新築儀礼だったり、各家庭で仏像を寄進する儀礼を催したりする。ハレの日を記念するために、多くの人たちがワン母たち民間歌手を招き、祝福のうたをうたってもらう。

ワン母はもう65歳をすぎた。この地域でも女性は長生きだけれど、十分に老人とみなされる。それでも、これまでずっとうたを歌い続けてきた。もう十年以上、不眠症でもある。一日よくて3時間くらいしか寝むれない。そのため、あたりが暗いうちから起きて、机に向かって人に依頼された詩を書いている。

それもそろそろ終わりだろう。

最近は、簡単な仕事を弟子(といっても50台半ばの男性)に任せ、弟子が書き上げた詩を添削するくらいになり、静かな深夜に難しい経典を読んでいる。

IMG_7366.jpg


ある日、ワン母は僕に引退を宣言した…。

それは僕がそこを離れる前日だった。
僕はワン母をバイクの後ろに乗せ、村の老人たちに挨拶をして回った。
僕は田畑のずっと向こうにみえる山の上の仏塔を眺めていた。

「アイバオはまだ行ったことがなかったのか?」
「うん。なんだか、機会を逃して、まだ行ってないんだ。」
「じゃぁ、今日はあの山に登ってから帰ろう。」
ワン母はちょうど今日はコン父も外出して夕食には帰ってこないし、ちょうどいい、と言った。

「でも、膝が悪いし、疲れると腰がいたくなるよ。」
「大丈夫、昨日は少し眠れたから。」

僕はせっかくだからワン母と登ってみたくなった。
その小さな山には100年以上昔に立てられた仏塔と寺院があったという。ここムンコァンの酋長の母が積徳のために寄進したと聞く。
残念ながら、古い建物は文化大革命で破壊され、改革解放後に山の頂上からすこし下ったところに仏塔が再建された。

僕らはバイクで山のふもとの村まで行き、そこからゆっくりと歩いて仏塔を目指すことにした。

「おまえが帰って、次の春節を過ごしたら、私はもう『リック・ヤート』を書くことを止めるよ。」
ふと、ワン母は僕に呟いた。

「もうインスピレーションも昔ほどなくなってしまったし、この老体には疲れる…。」

その言葉に、僕は急に寂しさを覚えた。


10数年前に出会ったとき、ワン母はあちこちから引っ張りだこで、うたを歌う姿はとても輝いていた。
ここ数年、年々人前で歌うことに興味を示さなくなったワン母の姿を僕は知っている。

「最初はね、おまえたちのお父さんが酔っ払うと手がつけられなくなるし、エラン(僕の姉)は病気だし、うたを歌っている時だけは自由で楽しかった。」

ワン母の家庭事情は複雑だ。

「ここ数年はお父さんも年をとって、酒も少なくなったし、エランも家事手伝いくらいしてくれるようになった。家にいてもそれほど嫌な気分にはならないしね。」

ワン母は50代半ばまでずっとラジオ局でタイ族語のアナウンサーとして活躍し、毎日のようにニュースや娯楽、伝統知識、伝統芸能に関する番組を作ってきた。一時期は、家庭環境が悪く、それを忘れるために、ひたすら仕事に打ち込んだという。老人を訪ねては昔話や伝統的慣習などについてインタビューをしてまわり、毎日のように夜遅くまで原稿を書いて番組の録音を行った。

そのおかげで、この地域そしてビルマでも、ワン母の歌声と名声は大きい。
ラジオ局を引退してから、ワン母は長編の叙事詩『リック・ヤート』の創作執筆と朗誦活動を始めた。この叙事詩は、タイ族文化のなかで、最も難しい言葉の芸術だ。おそらく、タイ族の歴史上、女性でこの叙事詩を創作できる人物はいなかっただろう。
ワン母は『リック・ヤート』こそ、文人にとって最高の名誉であり、最高の仕事だ、と誇りのように語っていた。
そして、この『リック・ヤート』を創作できる人物は、僕の知っているところで、現役で5人くらいだ。ワン母とワン母の弟子を除いて、あとの3人は高齢の老人で、もう先は長くないだろう。


ワン母は、いつも口癖のように「タイ族の言葉の芸術(わざ)はとても素晴らしいのだよ」と僕に言っていた。

「この業を後世に伝えたい」その想いで、これまで10年以上、50冊、あるいはそれ以上の『リック・ヤート』を生み出してきた。

その仕事も、そろそろ終わりにしたいと、僕に語った。

そして、
「おまえたちに、もっと託したいものが、みつかったのよ。」

そう呟いた。

IMG_7358.jpg

つづく
コメント
コメントの投稿
 
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://asianmusic.blog50.fc2.com/tb.php/172-123fd303
この記事にトラックバックする
 
 
 
 
 
 
 
 

copyright © 2006 People, Life and MUSIC all rights reserved.