中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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ワン母が呟いた引退 ②


小さな山を上りながら、僕とワン母とぎれとぎれ話をした。
「うたをうたってもインスピレーションがわかなくなった」というワン母の言葉は僕の心を締め付け、そのチリチリとした痛みが残響となって今も心のどこかで鳴っている。

一年という時の流れはあっというまで、何も変わらないかのような錯覚さえ見せることもあった。でも、ワン母は人前でうたうこと、そして名誉あるリック・ヤートの執筆から引退しようとしている。
彼女が笑顔でうたう、その姿が見られなくなる日が、いよいよ近づいているのだと知った。

ではワン母が残したいものとは…。
創作意欲とインスピレーションを失いつつあるワン母だが、それはすべてを捨てることを意味しているのではない。
彼女は先人が残した書物に向き合う。
その書物のなかには、彼女がまだ知らなかった物語や出来事、美しい言葉の業が散らばっている。
先人が残したものを、より深く学びたい、といった。
そして、学び、感じ、考えたことを、次の世代に残したいと語った。

僕はワン母がにぎやかな祭りの場で人びとに囲まれてうたう世界から離れ、ひとり黙々と書物にむかううしろ姿を創造した。


ワン母は僕が出会った頃、その昔から言葉の業には妥協を許さない人だった。
だから、ラジオ局を退職してから、若い人たちがラジオ番組を制作しようと、テレビ番組を制作しようとも、ワン母は自ら電源を入れて番組を聴こうとはしなかった。
それらを聴けば、悲しくなるのだという。
若い人たちは詩的な言葉を失い、表現も漢語交じりの話し言葉的な、何も心を揺さぶる美しさを与えない、という。
何人もの人間が、ワン母のもとで言葉の業を学ぼうとしたというが、誰も真剣な心を持ち合わせていなかった。

村の女性たちと寺院にあがって戒律を守ることも望まなかった。
なぜなら、寺院で唱える数十種類の誦経文を暗誦することが苦痛だというのだ。
村の老人たちが口承あるいは文字で伝えてきた誦経文も、今に至って言葉が崩れていると指摘する。

近年中国では無形文化遺産の認定事業が国家プロジェクトとして進められている。それは少数民族の文化についても同じだ。
だが、無形文化遺産保持者のリストに、ワン母の名前はない。
かわりに、毎回ことあるごとにワン母のもとにやってきて、うたの原稿を依頼しに来る男性の名前が、そのリストのなかにある。
この地域では結構な有名人だ。タイ族語のテレビ番組で歴史語りをしたり、政府主催のイベントでうたをうたう。
実はその男性が人前でうたううたのほとんどが、ワン母が書いたものを暗記して披露しているに過ぎないのだ。

ワン母に悔しくないのかとたずねた。
彼女は「興味ない」としか言わない。
もちろん、国宝人間のような称号を国から与えられても、彼女の生活は何も変わらないだろうし、いつもと同じように5000円にも満たない安い料金でリックヤートを書くだろう。

彼女は歌手である前に、3人の子供の母親であり、一人の孫の祖母であり、夫の良き妻であり、料理の上手なひとりの主婦だ。それを変えるつもりもない。振り返れば苦しいこともあったけど、その生活に満足できる。
その生活があったからこそ、歌いたいうたを歌い尽くした。

僕はワン母のうたを笑顔や驚きに満ちた表情で聴いていた、たくさんの聴衆を思い浮かべる。

きっと、彼女の生まれては消える言葉は、「今」を生きてきた多くの人たちの心の肥やしになっただろう。

ワン母がこれからすることは、おそらく結果としてはタイ族の次世代のための仕事になるだろう。
けれども、彼女がやろうとしていることは、自分のためでもある。
人のために歌うのではなく、人のために書くのではなく、自分のために、自分が信じるもののために、書物に向かおうとしている。

今、彼女は、未来に向けて過去の遺産を残す道を歩み始めようとしている。


つづく
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