中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
ワン母が呟いた引退 ③


彼女が今、残り少ない人生で使命感に燃えることは、
先人たちが書き残した書物を読み、そのなかから美しい言葉の業を確認し、
伝統的知識と美しい言葉にあふれる書物を、「改良文字」をつかって書き直すこと。
さらに、その書物を朗誦し、録音資料を残すこと。

簡単な作業にも聞こえるが、想像以上に困難な壁が立ちはだかる仕事だ。


 IMG_1638.jpg
とある村の儀礼にて。夜遅くまで掛け合いのうたをうたう。
代々人びとの写本の繰り返しによって現代まで伝えられてきた書物は、その過程のどこかでところどころの詩文に書き間違いが生じてしまっている。

そもそも、タイ族の古い文字には、タイ族語の6つの声調を示す記号がない。さらに母音をあらわす文字も読み方が2通り以上あるなど、非常にあいまいだ。
だから、極端な話し、ひとつの単語を文字で書き、それを他人に見せても、そのひとつの綴り字で12通りくらいの読み方ができたりする。

だから、古い文字の書物を読むのは非常に骨が折れる。
文字が部分的に不完全であることも読むことの難しさを増長しているが、
さらに、文字テクストは難解な詩文形式で、おまけに文法も普通じゃない。

そのため、前後の文脈から文字の意味を推測し、発音を当てていくのだが、
初心者や、僕のような知識のない人には文字システムを理解しても、なかなか読み進めることができない。

だから、書物を読むためには静かな環境と、ゆっくりとした時間が必要になる。
ワン母は以前のように忙しく家族の世話におわれたり、外でうたをうたう必要がなくなったという。
あと何年生きられるかわからない。
今、このタイミングだからこそ、始められる自分が必要だと思う仕事をしたい。

ワン母は自分の声が老いてきたことを自覚していた。
でも、それは絶望ではない。
「もう、うたいたいことは全部うたった。」
そう晴れやかにいうワン母の心に、うたをうたってきたことに後悔はないだろう。

「先人が残した書物は奥が深い。私なんかじゃ、まだまだ理解が及ばない。
もっとたくさん読んで、解らないところをまだわずかに残っている教養ある老人たちに訊かなければいけない。」

「たくさん読んで、知りたいことは次々とでてくるんだよ。」
ワン母の表情は生き生きしている。

「でもね、私は知るべきことを探求することはしない。それよりも先に、今残された時間で、たくさんの書物を翻訳し、録音しなければね。」

ワン母だけでは到底できない仕事を、いま生きている老人たちと協力して、新しい文字に書き起こす作業を始めなければならない。

ワン母の声が本当に枯れてしまう前に、書物を朗誦して、録音に残さなければならない。

「これはね、未来に生きるお前たちへの贈り物なんだよ。」


「私が、私たちが残すものを、大切に受け継いでくれるか、先人たちが残し、より深まった謎を解き明かすかどうかは、お前たち若い人間の仕事だよ。」


「お前たちにはできないことを、今、私たちがしよう。

お前たちは私たちができなかったことを、この先やっていくんだよ。」


僕たちはその責任をきちんと受け継ぐことができるだろうか?
その日ほど、僕は自分が本当のタイ族ではないことを、恨めしいと思ったことはない。
いくらでも、力になることはできるだろうか。
ワン母の希望を受け継ぐことは、できるのだろうか。



おわり

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