中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
『音の紋様 ~徳宏タイ族の機織り/Sound Assemblage of Tai Weaving』

先日、アップリンクにて上映した現在制作中の映画の概要です。

機織りの音といってもひとことでどんな音かと説明することは難しい。村の音環境のなかで、その暮らしの音も含め、様々な織りの音やノイズから「いま-ここ」に立ち現れる「音のアッサンブラージュ」。
その響きは、とても複雑で、そして立体的で、聴き手と織り手の物理的距離によって、そして関係性によっても、聴こえ方、感じ方も多様になる。なにより、人びとの間で、生活のなかで、音のアッサンブラージュは多様な解釈がほどこされることで、「生きて」いる。

Sound Assemblage of Tai Weaving 003 Sound Assemblage of Tai Weaving 002 Sound Assemblage of Tai Weaving 001

タイ族の紋織物は、後染めされた藍色がさめるにつれ、織りこまれた紋様が徐々に際立つ。私は日々の暮らしのなかで変わりゆく布の風合いが好きで、男でありながら女性の機織りを習った。ワン母さんは、「嫁入り前の姉の機織りは村でも評判で、子守唄のような音を鳴らしていた」と思い出を語った。複雑な紋様は今では誰も織らなくなっていたが、村の女たちは記憶に残る伝統の技を嬉々として再現してくれた。私は、織りを学びながら、彼女たちの感性の中に息づく、織りの音の美学を知るのだった。

人は、ささいなきっかけから、誰かに親しみや愛しさを覚える。しぐさや、におい、声、眼差し、あるいは表情から、その人独特の雰囲気に気づくのかもしれない。では、人の手によって織られた、ものを言わぬ布に魅了される私たちは、何を感じとるのだろうか。ある人は、織物から材料や技術を見出し、織り手が生きた環境や社会状況を読み解く。現代の芸術家は、織物を「楽譜」として読み替えようと試みる。そして、タイ族の女性たちは、織物の出来具合から、あるいは、まさに布が織られているその音から、織り手個人の「人となり」を聴きなす。

かつて村の娘は、将来の夫と子供たちのために、嫁入り前にたくさんの布を織り貯めなければならなかった。彼女たちの布は、家事や農作業や思い人との逢瀬の合間をぬい、長い時間をかけて織りあげられるのだった。織りする身体は、杼や筬、綜絖、そして錘の木材など、機の様々な部分と協働し、リズミカルに運動して多様で複雑な響きを奏でる。女たちの織り仕事は、様々な思いの丈が込められた「音のアッサンブラージュ」を現す。音と共に生まれてくる布は、人から醸し出される雰囲気のように、いつも思いの残響をただよわせている。それは甘くも苦くもある、遠い記憶を喚起させる。

※ 「音のアッサンブラージュ」(Sound Assemblage)とは、造語です。「サウンドスケープ」ということばはそろそろなじみ深い考え方になってきたかと思います。ただ、どこか音を客体化しすぎて、音とそれを聴く私、あるいは、もともとそこに生きてきた人びとから主観的側面を除外している気がします。音のアッサンブラージュは、ふだん何気なく私たちや自然が「たてる」音、「つくる」音に注意します。耳を澄ませたとき、それが様々な質の音の組み合わせであること、そのひとつひとつに音と共に生きる人の記憶や感情がかかわっていること。音に肉迫したとき、意外にも、そこに現れる音は様々な意図や感情がこめられていて、音に触れる人の感性を襲うのです。

27/05/2015 更新
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