中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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このまえ、5月14日から17日までビルマ、シャン州のチェントゥン(ケントン、KyaingTong)に行ってきた。

以前から一度行って見たい町だった。今回、北部タイに2週間ちょっと滞在する予定で、旅行会社のタイ人の友人もゆっくりチェントゥンの周辺を散策するというので便乗して一緒に行ってきた。

目的のひとつに、「ライオンダック」タイ族語ではHam Zang, Mak luak duangという天秤に使う錘を実際に使っている様子を見たかった。

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それと、タイ族の王国(くに)として栄えたシーサンパンナ、ラーンナー(チェンマイ)、ラーンサーン(ルアンパバーン)を見てきたので、かつてこれらのくにとつながりの深かったチェイントンを見てみたかった。

それでは、
まずは旅行情報から。

13日チェンマイから夕方のVIPバスでビルマ国境のタチレクまで行く。所要時間3時間半。330B。
ひとまず一泊150Bの宿に泊まる。

14日朝、友人のNにつれられイミグレーションに。N君はイミグレに友人がいるので面倒な手続きもすぐに済む。手続きの費用として一人10ドル。写真3枚。パスポートをイミグレに預け、代わりにビルマ領内で使用する身分証(シャン州東部のみ移動可)をもらう。といっても、この書類は乗り合いタクシーの運転手に預け、チェントゥンまでの途中にある3箇所のチェックポイントでスタンプを押してもらう。そして宿に着けば宿主に預けるため、自分の手元には残らない。

強制両替はなく、タイバーツをイミグレ近くの両替商で両替する。もちろん中国人経営。1000B=36400チャット。

乗り合いタクシーもイミグレのビルマ人のお姉さんが呼んでくれた。
タイ人・外国人料金なので一人500B。所要時間3時間半。
車は日本で20年くらい前に使われていたディーゼル車。よく会社が営業に使うような車。
助手席には2人のタイ族の男の子が座る。
運転手のおじさんもタイ族。

チェントゥンでは、Ktaing Tong New Hotelそばのゲストハウスに泊まる。

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タイ人は「一人」200B。外国人は「一人」5ドルもしくは250B。
もちろん電気は夕方から22時まで。ホットシャワーはない。
建物は古いコロニアルスタイル。
経営者はもちろん中国系。

食事は……
レストランはいくつかあるけど、どこもまずかった。
ビルマ系、中華系、どれも、「むむむ…」という感じ。
一番うまかったのはタイ人が開いたタイ料理のレストラン。値段はそれなりにする。来る客はタイ人旅行者か現地の金持ち。
基本的にここの人たちはめったなことではレストランなど利用しない。

あとは、
一番まともなものといえば、朝の市場で買えるタイ族のお惣菜。それと麺。カオソイ(北タイのカオソイとはちがい米で作る。また徳宏のカオソイと違い柔らかい。)、カオシェン。小麦の麺。
というところでしょうか。

ビンロウが町のいたるところで売っていたのは感動。
自分で好きなように組み合わせできる。北部タイや中国ではこういった店はない。うーん、驚き。

タイでは冷水ばかりで、ここではお茶を飲むので中国の腹になっている僕としてはうれしい。 

チェントゥンの町は半分が中国系だろうか。中国語はどこでも通じる。中国のスーマオや景谷などから来た人々、もしくは第二次大戦前後にタイ北部から移住してきた中国人など。
いちおう、みんなタイ族語(タイクン)、ビルマ語をしゃべる。

あとは、ビルマ人にタイ族(タイクン)。タイヤイは少ない。


タイの友人のN君は、よくツアーをくんでタイ人旅行客を連れてくる。
ノスタルジーで昔の北タイの様子を垣間見れるからだというが、しかし、チェントゥンに来る客はみんな、
「チェントゥンには何もない」
といってがっかりして帰るという。
というのも、どの町並みも、昔のチェンマイと変わらない、とか。
ノスタルジーで来といてその理由はよくわからないが、中国国境付近のモンラーにいって中国化された町をみてタイに帰る。といったパターン。

N君はもっとトレッキングとか魅力的な、面白い場所を探したいらしく、いつも利用する宿(ビルマ軍で20年ちかく?軍人だったボスが仕切る)に行き、「チェントゥンの魅力をもっとアピールするために、一緒にプログラムをつくろう!」と話を持ちかけ、この周辺の見所を調査することになる。

いったところは盆地のはずれ、アカ族とエン族の村。バイクで2時間近くき、タイ族(タイ・クン)の村から1時間ほどかけてアカの村へ。その後1時間くらい歩いてエン族の村へいく。

行った村は確かに現代から取り残されたような村だった。藁葺きの屋根、今も民族衣装をきて生活する人々。
それでも旅行客とわかればバックやアクセサリを売りにくる。でもタイやラオス、中国に比べて非常に素朴。
でも、生活は厳しいようだ。ビルマ政府から課せられている労働義務(油を生産するための植物を植えたり)もある。もちろん、山の人々はいまもケシを栽培させられている。


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「木の道」
山を降りるとき、ふと気がついた。
1時間くらいの下り道、その道に妙な「くぼみ」が続いていた。
なんだろうと、思っていて、ふと、さっき2人の男が山の上から木を運んでいたのを思い出した。

この道は、そう、木が運ばれ、それによって削り取られた道だった。
何年も時間をかけて削られた木の道。
きっと、そう古いものではないのかもしれない。
それでも、人の労働、汗と大地のつながりが感じられる気がした。

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別の日には、かつてイギリス植民地時代に立てられたイギリス人用の別荘にいく。「ロイ・モイ」(タイ族語で雪の山)。
冬には雪が降る。熱帯地域の東南アジアでもまれなんではないかな。
でもなんでまた、こんな辺鄙なところに別荘を作ったのだろう。イギリス人の考えることはわからない。
町からバイクで2,3時間近くかかったか。

いまではビルマ軍の施設があり、ゲストハウス用に夏には外国人に開放しているようだが(一人一泊35ドルとか)、部屋の中はコンクリートでリフォームされ、ベッドだけで何もない。
公園の周辺には山の人たちや中国系の人々が住んでいるようだ。旅行者には見えない山の裏手でケシ栽培をしているという。

ガイドをしてくれたのは宿ではたらくチン族のおじさん。いとこがチェントゥンの森林局ではたらいていて、よくケシ栽培で農民たちと接触があるとか。ビルマ政府の命令でケシ栽培を今も続けているという。

別荘地には、かつて奴隷としてつれてこられたシーク教徒の教会があった。いまでは廃墟だが建物には文字が掘り込まれている。

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と、まぁ
紹介はこんなかんじで。

特に、これといって楽しいことはなかった。
でも、最後によったタイ族の村でタイ族の人たちと話しをしながら酒を飲んだのは楽しかった。


ビルマは仏教国ですが、チェントゥンで驚いたのは、仏教の信仰と実践がタイとはまったく違うこと。

シーサンパンナのような感じだ。

最初に驚いたのは、シーサンパンナでもありえない、子供の見習い和尚たちが朝の市場を歩き回って所かまわず、人かまわず、「めぐんでくれ」というもの。
これには驚いた。

また、普通上座部仏教は女性に触れることはご法度なのだが、普通に女性をつかんで引っ張ったり。触るのは当たり前。

町を離れた村のほうでは、バイクを運転して後ろに女の子を乗せた2組の和尚を見かけた。滝にいってデートすると言う。

うーむ。シーサンパンナは経済活動と絡んで仏教実践が変化しているけど、ここの仏教はどうなっているんだろう。
外からきたビルマ人も、「チェントゥンの仏教は仏教じゃない!」といっていた。

町のお寺も日中はどこも扉が閉じっぱなしで、中に入れないし。

でも、自然は美しかった。
それは確かだ。
そして、ここの素朴な、それでいて誇りを持つ人たちと話をすることが一番楽しかった。

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次回は、チェントゥンのタイ族の王の屋敷を守る老人や人々の話をしよう。


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