中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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死者の魂がうたをうたう ――音文化の核心に触れる

シャーマンに出会う。

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中国ではタイ族というと、普通は仏教を信仰する民族と言われるのだが、同じように精霊や魂の信仰が根深いと思う。中国ではシャーマニズムは原始宗教として今でこそ弾圧を受けることはないが、基本的に宗教とはみなされず、迷信として一蹴される。また、政府はカリスマを持つシャーマンたちの行動には警戒心をもっている。

そのようなわけで、あまり外の人間には精霊信仰やらは口にすることはない。
もちろん、酒の席などでは男たちが鬼や精霊に関する自分の経験談や噂を面白おかしく話すことは多い。まぁ、迷信だから自分は信じないけど、と口々にいうのだが…。

シャーマンにもいろいろある。西洋の概念で区別するなら白魔術師や黒魔術師に大きく分けられる。仏教信仰とも結びつき、呪術や霊術は地域によってさまざまな技術・方法がある。
僕はこれまで何人か白や黒のシャーマンに会ったことはあったが、死者の魂を呼ぶ霊媒師の実践の場を見ることはなかった。今回はある老人、友人の母の妹、が亡くなり、家族が霊媒師を呼んで死者の様子をうかがうという場にめぐり合った。

仏教信仰の強い都市部やビルマ国境近くでは、農村に比べて霊媒師を呼んだり訪れたりすることは少ない。農村では、文化大革命以来寺には僧侶がおらず、さまざまな仏教儀礼は廃れ、重要な儀礼のみが行われるようになった。仏教に対する信仰心は確実に弱くなっている。もちろん、同時に、精霊を祭るさまざまな儀礼も今では減少している。



亡くなった老人が住んでいた村は山のふもとにあり、緩やかな斜面に建物が立ち並ぶ。うっそうと木々が茂る小山を背景にしたこの村は、僕の好きな村のひとつでもある。

老人が亡くなって1週間がたち、家族の者たちは霊媒師を家に呼び、死者が無事極楽にたどり着いたか、あの世で不便はないか、必要なものはないか、この世に遣り残したことや家族に言い残したことはないか、たずねてもらうことにした。

友人の話を聞いていると、亡くなった老人は亡くなるまでの数年間あまり家族から良い待遇を受けていなかったという。足が不自由になりあまり働けなくなると、息子夫婦は老人が病気になっても医者に見せることもなく、ある時は友人が老人を負ぶって医者に連れて行ったこともあったという。息子は親不孝者だ、と口にしていた。

僕の友人の母は70歳を過ぎ、すでに足が不自由で思うようには歩けないため、この魂を呼ぶ儀礼には参加できなかった。さびしそうな顔をしていつもの椅子に座り、宙を眺めていた。僕と友人の奥さん二人で家を代表して参加することにした。


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夕方、この地域の日暮れは遅い。

家の居間には一人の老女が座っていた。老女は人々に背を向けるように座り、目の前のテーブルにはさまざまな供え物が山済みに置かれていた。紺色の上着を愛用する他の老人と比べて、老女は灰色の上着を着ていた。足元に置かれた長刀を踏みつけ、ひっきりなしに足をゆすっている。その老女を見守るように多くの親戚の女性たちが居間とその外に座っている。

近所の女性たちは米や卵などの供え物をそれぞれ持ってきては家の主に渡し、椅子に腰掛けて他の女性たちとこの儀礼の進行状況を聞いたりしている。どうも緊張感がない感じで、みんな和気あいあいとおしゃべりし、笑い声も聞こえる。台所では儀礼に駆けつけた人々の夕飯の準備を行っている。

そんな周りのおしゃべりには気にもせず、老女は片手に黒い扇子をゆっくりとなびかせながら、黙々と「うた」をうたっていた…。

そのうた、僕は初めて霊媒師のうたをきいて、驚いた。
老女が歌っているうたは、僕がずっと探し、タイ族の歌の中でもっとも好きな「古い調べ」だった。
ところどころ、古い調べの特長の短い一段落を歌い終わるたびに「ああ」とうなずく。最初は良くわからなかったが、うたを聞いていると、それは死者の「返事」だった。
老女は死者に対してうたをうたい、呼びかけているのだ。

あの世はどんなところ、あの世に行く道のり、家族を気にすることなく、身体をいたわり、食べ物に気をつけて、あの世で元気に過ごしてください、あの世までの道のりをゆっくり、ゆっくり、行ってください、友人もいるでしょう、あなたの両親もいるでしょう、この世に未練を残さず、元気でいてください……

こんな感じの内容のうたを延々と言葉を変えては、繰り返す。
繰り返すといっても、半端ではない。夕方に始まり、食事も食べずに深夜まで霊媒師は歌い続ける。
日の傾きが薄暗い居間を照らしたかと思うと、供え物のにおいや、線香のにおいや煙が太陽の光で引き立つ感じがした。

ところどころ、死者の魂が霊媒師の身体に降りてくるには別の供え物が必要だとか、うたを中断して霊媒師が家族のものに伝える一幕もあった。

聞き入っていると、突然うたの途中でメロディーが変わった。それは西の地域の歌い方だった。
またしばらくすると、今度は死者が霊媒師の身体(くち)を借りて「うた」いだした。
死者のうたは「哭き」のうただった。死者は泣きながら家族のもの一人一人に思いを打ち明ける。
家族の人たちは霊媒師が黙々と正面を向かって哭き歌をうたっているのを、そのそばで聞き、死者のうたに耳を傾ける。さっきまでは笑い声が聞こえていたのがうそのように、周りの人々も涙を流しながら、死者の魂が家族に向けてうたうその内容に耳を傾け、農作業でしわくちゃになったごっつい手のひらで、眼を覆い、涙を拭うのだった。

しばらくすると、再び霊媒師のうたのメロディーは古い調べに戻り、死者の魂は霊媒師を離れた(?)ようだった。しばらく霊媒師は3,4種類メロディーを変えたりしながら、魂に歌いかける。
そしてまた、哭きのうたとなり、死者の魂が家族にうたいかける…。
霊媒師もうたを歌いながら泣いていた。
それはこの老女が泣いていたのだろうか、それとも死者の魂が泣いていたのだろうか、僕にはわからない。
時々、うたの内容が難しいと、霊媒師はうたをやめ、そのうたを解釈して周りに聞かせることもあった。

女性だけしかいない儀礼に、途中から中年の男性が入ってきた。僕にタバコを差し出し、霊媒師の後ろに座って、うたを聴いていた。

この男性がこの家の主で、息子だった。
霊媒師がうたいながら「酒を飲みすぎないよう、身体をいたわりなさい…」などなど、彼にメッセージが送られた。男性は宙をぼんやり眺めながら、眼をうるうるさせて、涙を流した。

亡くなった老女の姉に当たる老人が魂に対して「大丈夫だから、大丈夫だから」となきながら言うのだった。

地域によっては、日本の霊媒師のように歌わずに、言葉を口にする霊媒師もいるという。しかし、ほとんどの霊媒師が女性で、うたをうたう。
うたの内容は僕には難しくてよくわからない。霊媒師はさまざまなメロディーを使い分けては死者と生者の間でコミュニケーションの橋渡しをしていた。
死者と生者は直接言葉を交わすことはない。
そのやり取りは、その場にいる僕も、亡くなった老女がどんな人だったか印象はほとんど覚えていないけど、悲しくなり、涙がこみ上げるのだ。

霊媒師は食事を取らずに歌い続け、人々はかわるがわる食事をしては、居間に入り、周りの人とおしゃべりをしたり、死者の哭きのうたを聴けば涙を流した。
いくつものメロディーがかわるがわる霊媒師の口からうたわれ、笑い声と泣き声、外の雑音が交錯する。僕らがいる場は不測不可能な波の中にあるような感じがした。

そんな繰り返しがずっと深夜遅くまで続くのだった。

うたを歌い続けた70歳ぐらいの霊媒師は、僕がこの10年慕うある人の母親であることを途中で知った。それは僕にとってとてもとても大きな驚きだった。そうだったのか…、とどこか納得してしまった。

その日、僕と友人の奥さんは途中で帰途についた。夜の静寂の中で爆音にも思えるエンジン音の知り合いのトラックの荷台にしがみついて、家に戻った。なんだか興奮してその夜は寝付けなかったのを覚えている。

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コメント
すごい、これはすごい!
俺も一瞬でいいからこれを体験したかった~
こんな場面は相当親しくならないと見れないんだろうな。
アラブにはこういった習慣はなくなってるんだろうな、きっと。
 
 
2007/07/10(火) 01:20 | URL | みき #-[ 編集]
きっとアッラーは偉大なのだろうね

こういう人間くさいのもいいとおもう
 
 
2007/07/11(水) 13:01 | URL | サトル #-[ 編集]
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