中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
思い出の布

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これまでタイ族の布については何度か紹介してきた。

いつものようにタイ族地域の都市部から農村部へバスに乗って行く。
村に行くことのひとつの楽しみは、都市部では見かけなくなったタイ族の布「マン・ガイ」で仕立てた服を着ている老人たちに出会えることだ。

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珍しいことに乗り合わせたバスに、3,4歳の女の子がこのマンガイで仕立てた服を着ていた。
まわりの老人たちやおばちゃんたちは懐かしそうに無邪気な女の子を見つめて笑っていた。

タイ族の布「マン・ガイ」は機織機で織られる。
かつて貿易でビルマより持ち込まれた綿を買い、村の神木の下で糸をつむいだという。また農村部では生藍染めが行われるが、都市部ではインドの藍の液体を買ってきて染めていた。とくにテカリが出てきれいだったとか。
布はよく見ると凹凸がある。面の心地よい肌触りに凸の部分で紋様が表現されているのが特徴だ。
織られた布は雨安居明けに藍染めされ、春節には服に仕立てられる。

ある友人が、この時期に母親が藍染めすると手が真っ青になるので、その手で調理したご飯を食べるのが、ちょっぴり怖かったと僕に言った。

布のパターンは、僕が知っている限りでは農村部では11種類くらいある。都市部ではかつて農村部とは違う大きな特大の紋様を4種類ほど織っていた。農村部で織られる文様の服を着ていると、都会では馬鹿にされたとか。

染めたての布は紋様がはっきりと見えない。しかし、手洗いを繰り返すたびに、凹の部分の藍色が抜けおち、しだいに凸部の紋様のパターンが浮かび上がってくる。その色合いがとても素敵だと思う。

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僕はこうした凹凸のある布を別の地域で見たことがない。
織物で有名な北部タイに行って、専門家に見せてもタイにはない織り方だと言っていた。
タイ族の布と言っても、この布は地域が限定された範囲、徳宏周辺にしか伝承されていないのだ。


改革開放前後まで、僕の行っているタイ族地域ではこうしたマンガイを使って服を仕立てていた。安価な素材が外部よりもたらされるようになると、やがてタイ族の村からは毎朝毎晩カタンコトンと鳴っていた機織の音が消えた…。

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誇らしげに布を広げて見せてくれるおばちゃんが僕に面白い話を聞かせてくれた。

今では既製の服も買えるからほとんどの家には葬式用の布が用意されているくらいで、後は別の親戚に上げたり、山の民にうってしまって、あまり残っていない。

そして、

かつて、女性たちは12,3歳くらいから機織を始め、結婚するまでの数年間で「一生」分の布を織ったという。


結婚すれば、女性は家事や育児、畑仕事に忙しくなり、機を織る時間がなくなる。
毎朝毎晩、来る日も来る日も、自分の服を仕立てるため、未来の夫の服を仕立てるため、子供の服を仕立てるため、そして「死」を迎える葬式のため、機を織った。


まだ結婚もしていない女の子が、気の遠くなるような先の「死」の準備をしていたのだ。


僕には想像もつかないことだ。一番輝いている時期の女の子が「死」の準備をしていたのだ。きっとそのことを知って準備していたのかどうかわからないけど、生きることのなかに、きちんと死への門があることを、昔の人たちは身近に感じていたのだろう。

かつて、毎朝、女の子は家族の誰よりも早くおきてまず機織をした。あたりが明るくなる頃、居間から庭、そして門まで掃除をする。それから火を焚き、お湯を沸かし、食事の準備に取り掛かる。
夜になれば、眠りにつくまでランプやローソクの明かりで機織をしたという。

ときには、村の外からゆっくり歩いてやってくる男の子のひょうたん笛(フルス)を吹く音色に、機織の手を休めて耳を傾けた。
男の子が家の前で自分のために笛を吹いているのを聴けば、疲れなど吹き飛んだという。それから男の子を囲炉裏や台所に招いて、二人はしばしの間おしゃべりをした。


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友人のお母さんが35年ほど前に仕立てたという服をとりだしてきて、僕に見せてくれた。
見事な仕事の服で、20歳くらいの頃にこれだけ立派な服を作れたのかと感心した。
なんでも、この服は友人のお父さんと結婚するときに、旦那のために織り、染め、そして仕立てた服なのだという。
手にとって見てみると、服はずいぶん小さく、いまのおじさんのでぶっちょの身体からは想像もつかないくらい、やせていたのかと驚いた。
この服は何度も重ね染めを繰り返したので見事に黒く染まっていた。ここまで濃く重ね染をしたマンガイを僕は見たことがなかったので、こういう布がまだ残っていないか探してもらった。

近所をいろいろ回って探したが、見つからず、おばさんは今年の雨安居明けにまだ藍染めを続けている老夫婦のもとで布を染めに行こうと言ってくれた。

重ね染めの回数で布の表情はさまざまだ。こういう布で日本の浴衣とか仕立てたらきっと素敵だろうとおもった。洗うたびに紋様が浮かび上がって、味のある服になっていくのだろう。

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ある日、おばさんが結婚式のときに仕立てたおじさんの布を取り出し、僕にくれる、と言った。

僕はうれしかったけど、いらないと言って断ったのだが、おばさんが「もう誰も着ないし、このまましまっていても、死んだときに燃やすだけだから」といって、僕がこの服をきて「ひょうたん笛」を吹くところを見たい、と言ってくれた。

そして僕はその布を受け取った。


僕は肩幅が広いので、この服はちょっと窮屈だったけど、とても気に入った。
鏡を見て、もしかしたら自分が年を重ねたら友人のお父さんのようにでぶっちょになって、この服がきれなくなるのかな、と思った。
そのときは、きっと次の人の手に渡るだろう。



ある日、麻薬撲滅・エイズ防止運動が村で行われることになり、政府の役人や都市部の歌舞団の人たちがやってきて、一晩さまざまな演目を行うことになった。ちょうどその場に僕もいたので、参加させられることになる。

おばちゃんの前でその服を着て、演奏する準備。
おばちゃんが「にあう、にあう」とニコニコ顔だった。

若い友達がどっからそんな服みつけてきたの、と驚いて言うと、自分も一着ほしいなぁと言った。
村のおばちゃんたちがコソコソと後ろから「マンガイを着ている…」とおしゃべりしていた。

今では若者がこの服をきると「田舎くさい」とかいわれる。

その晩は、この服をくれた友人のお母さんを想って「古い調べ」を吹いた。

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