中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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4月、「水掛祭り」に行ってきた。

「水掛祭り」はタイやラオス、ビルマ、そして中国のタイ族地区で有名な祭りである。

正直、昔は毎年わいわい騒いで水を掛け合う祭りが楽しかったが、今は水をかけられるのが怖い。また年をとった、という感じがしてしまう。

今年の水掛祭りは徳宏州ではなく保山の湾甸という小さなタイ族農村にいった。

今年は農村に行って老人たちとのんびりすごすか、と考えていた。昆明でのドキュメンタリー映画祭が中止になり、非公開の内部交流活動が大理で開催された。この準備などもあって徳宏にいったのは水掛祭りの直前だった。

タイ族の僕の母をたずねると、「あさってから演奏にいくけど、一緒に行くかい?」といわれた。
もちろん、演奏旅行になるというので、芸術団のみんなと旅をするのは楽しそうだったので行くことにした。


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今回のメンバーは、若手のポップス歌手でなかなか渋い声を出す男アーシュワン、ポップス歌手の18歳という若くて妹にしたいジン、ひょうきんなおじいさんロンハム、芸術団の人気者のおじさんフーハム、物知りできれいな声のおばさんバーシャオオー、どっしりおちついたおばさんバーグン、そして母ワンシャンヤと僕である。

母とフーハムとバーシャオオーの3人は知人の車で移動。
出発の朝、僕は他の4人の団員を連れてバスで移動することに。徳宏から目的地の湾甸までは保山で乗り換えていく。
保山まで途中で検閲などにかかって5時間、保山で食事をしてバスに乗って湾甸まで4時間。湾甸についたのは夕日が山に隠れたころだった。

移動は楽しいもので、即興歌手のおじさんとおばさんはバスのなかでも歌を掛け合ってまわりの人たちを笑わせる。僕のタイ族語はまだまだなので、歌のおもしろみがまだつかめないのが残念。でも、うたを歌い続けるメンバーはバスのなかで、まるでコンサートのように盛り上がる。周りのおじさんおばさんたちも笑いながら歌垣を聴いていた。

湾甸というところは小さな盆地で、郷政府がおかれている町は、最近区画整備が行われたようで小奇麗だった。しかし、僕らが泊まった宿は木造のおんぼろ宿で、政府もけちくさいなぁとメンバーも文句をいっていた。

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数日はこのぼろ宿に泊まってメンバーのみんなと楽しい日々を過ごしていた。夜は酔っ払いの若者や、よそ者を見学に来る見知らぬ顔の男たちでうるさかった。ちょうど水掛祭りということで若者は一晩中外で騒いでいた。

しかしある日、バーグンと若いジンの女性部屋で事件が発生。
ジンはシャワーを浴びに行き、バーグンはベットで昼寝をしていた。おばさんがふと人影に気づき目を開けると、目の前に床にしゃがんでおばちゃんを「じっ」とみつめる2人の見知らぬ若者がいたそうな。おもわずの叫び声で男たちはそそくさ部屋を出て行ったが、あまりにも気色悪くていやだいやだ、とおばちゃんは嘆く。政府は僕らをほったらかしなので、みかねた文化担当者のお姉さんが別の宿を用意してくれた。

僕らは2日目は昼間、そしてその後3日間は毎晩7時くらいから夜中の2,3時まで舞台でポップス、ひょうたん笛、そして歌垣の演目を行った。

町のはずれに設けられた特設ステージは、初日と2日目に県や保山地区の歌舞団などがやってきて舞台パフォーマンスを繰り広げていた。あいにくの天気で突然雨が降り出し一時中止になることもあった。

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この地域のタイ族は第二次世界大戦や文革の頃、徳宏州から逃げてきた人々と、南のタイ族が混住して徳宏タイ族とはまた違った歌や踊りが伝承されている。また、文革時に仏教経典や歴史資料の没収や消滅をおそれた知識人がひそかに多くの文字資料を保山地区にもちこみ、保管していた。そのため、徳宏から持ち出された古い歴史資料やさまざまな文学資料が保山地区には分散して散らばっていると言う。

面白いことに、古いタイ族の文字も異なる4,5種類のタイプがある。この地域の知識人は、何かしらの秘密の伝言などを手紙で届ける場合、こうした数種類の古いタイ族文字を組み合わせて文章を書いたと言う。現在、学校教師を退職したおじさんが政府の以来を受けていくつかの経典を漢語に翻訳する作業を行っている。なんでも政府は適任者を探すのに10年かかったと言う。漢語のレベルとタイ族語のレベル、そして数種のタイ族文字知識が十分に備わっていないとできない仕事だ。
ぜひ時間があったらおじさんにタイ族文字を習いたいと想った。ちょうど2年契約でいくつかのタイ族地域を回って古いタイ族文字を民間の人々に教えて回る計画もあるようだった。

水掛祭りの会場ではブランコも設置され、若い女性たちが二人一組でブランコに乗って遊んでいた。若い男たちは女の子を見つけるとところかまわずバケツで水をかけてくる。よく言われる話だが、昔はこんな風にバケツで水を掛け合うようなことはなかった。ある植物を片手に、それに水をつけて通りすがる人々の肩や、病気持ちの部分に水を振り掛ける程度だった。

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やはり、僕らの芸術団は格好の標的になった。特にかわいいジンは男どもにところかまわず水をかけられる。せっかく化粧や舞台衣装をきていても水をかけられてはかなわない、ということで老人たちと一緒に歩くが、最近の若者はそこらへんの礼儀もわきまえず、水をかけてくる。

そんなわけで、昼間はなるべく出歩かず、夕方水掛が終わった頃に村に行ったり、散歩をするのだった。

夜は街に設けられた小さなステージが僕らのパフォーマンスの舞台だった。7,8時に始まり、最初はポップスや楽器の演奏などが繰り広げられる。この地域でも、かつてはひょうたん笛(葫藘絲)が恋愛に用いられていたという。郷政府の郷長もかつては笛を使って奥さんを射止めたとか。
その調子は、この地域どくとくのメロディーで、徳宏州の古い調べとは異なった。

ポップスのパフォーマンスはなんといっても酔っ払いの若者たちでにぎわう。そして夜遅くなると、食事を終えた老人たちが遠くの村から大勢やってくる。
老人や中年のおじさん、おばさんたちが待ち望んでいたもの、それは「歌垣」(対歌)である。

まずは芸術団の人気者のおじさんが、「そろそろ出番か!」と意気込んで舞台に上がる。僕の母が率いる「象牙民間芸術団」はタイ族地区ではかなり有名だ。それも、ここ数年来、各家庭にはVCDやDVDデッキが増え、さまざまなタイ族芸能のVCDが手軽に買い求められるようになったためだ。
農村部で五日に一回開催される市の日には、海賊版のVCD、特に芸術団やタイ族特有の祭りを撮影したVCDが売られる。老人や中年の人々はやはり、歌垣を聞くのが一番の楽しみなのである。
とにかく、みんな「うた」好きである。
ポップスは聴いても「わからない」と興味を示さない。でも、歌垣は、即興で編まれる歌詞、そしてメロディーによって、中年層以上の人々の心をつかんで離さない。生活に根付いた特有の言い回しや比ゆ、そして冗談がふんだんに盛り込まれたうたは、人々の笑いを誘う。また、韻を踏むのを間違えたり、字余りだったり、メロディーがはずれてしまっても、人々はそんな出来事を楽しんで笑うのだった。

僕らの舞台でも、夜遅くに本当のパフォーマンスが始まる。
それは芸術団の人気者歌手たちと、農村部のうた自慢がうたを掛け合い、「歌い負かす」舞台が始まるのだ。
人気者のおじさんフーハムは次々と聴衆にうたいかけて、歌垣を申し込む。
最初ははずかしい、とか照れていた人々も、盛り上がるに連れ、俺も、私も、と舞台に駆け上がってくる。

歌垣は夜を徹して行われる。

ある晩、齢70歳を超えた老女が舞台に上がって、昔のうたを歌ってくれた。最初は舞台の袖で震えて恥ずかしくて聴衆の顔を見ずにうたっていたが、ゆったりとしたこの地域のメロディーに、古い歌詞がうたわれる。僕の母もとてもすばらしい歌詞だといっていた。昔の恋愛のうただと言う…。

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面白かったのは、この地域に伝承される歌垣のメロディーと、徳宏の歌垣のメロディーで、うたを掛け合うことだった。
フーハムは徳宏の明るくテンポの速いメロディーで歌いかける。
そしておばさんやおじさんはこの地域特有のゆったりとして、落ち着いた感じのメロディーで歌い返す。

途中、フーハムやバーオーがこの地域の歌い方をまねしてうたうが、韻の踏み方や始まりや終わりの〆方が上手くいかず、人々の笑いを誘うのだった。

夜遅くになっても人々は一向に帰路につこうとしない。僕らに歌いかけ、急いで帰らずもっとうたを掛け合おうとあちこちから歌が聴こえてくるのだった。

僕らのパフォーマンスはすぐにVCDに編集されて、今では徳宏のあちこちでも売られている。

ある日、僕が歩いていると、おじさんやおばさんたちが指を指していうのだ。
「笛を吹いていた男の子だね?」と。

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・・・・・・・・・

歌垣をうたうおじいさん、ロンハムとはこの数日楽しく過ごした。

ひょうたん笛も得意のおじいさんで、まじめそうだけど、冗談も大好きな人である。

僕らのお世話をしてくれた政府の女性が大変気に入ったらしく、「娘のようだ」と、2人の写真を何枚か撮る。
また、別の若い女性をみて、「娘のようだ」といって、2人で写真を撮る。

かつて、この人はビルマに10年近く住んでいた。そのため、ビルマのタイ族地区に伝わる古い調べ「ハム・ロンホン(サルウィン川のうた)」を歌うことができる。
僕はそのうたを聴いてとても感動した。このうたは、なかなか歌える人が見つからないから。


そして、出稼ぎにでた娘に10年以上会っていないと、涙を浮かべて悲しそうにうたった…。


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