中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
こころのしらべ 旅の記録その1 『伝統文化の危機』 2008年5月徳宏タイ族日本公演

4 us


旅の目的はこうだ。5月10日、大阪国立民族学博物館にて徳宏タイ族の民間芸能者3人と僕の4人で歌や踊りの公演が行われた。

最初にオファーが来たとき、本当はひょうたん笛の先生を招待してはどうかと聞かれた。でも僕は日本の一人でも多くの方にタイ族の歌声を聴いてもらいたかった。そして僕のタイ族の母、ワンシャンヤーは60歳だから、のどが次第にしわ声になっていく。その歌声もあと数年で聴けなくなってしまうだろうから、今タイ族の母たちを日本に呼んでうたってもらうことは意義があることだと考えていた。

徳宏タイ族の人々はうた好きである。
うた、といっても、それは即興で歌詞を編む「掛け合いうた」や「歌垣」を指す。村のおばさんたちは市が立つ日にはマーケットでVCD(DVDの前世代メディア)を買い求める。掛け合いうたのVCDのほとんどは僕のタイ族の母たち民間芸術団がうたったものだ。最近では各地のうたの名手が結婚式やお祭りに呼ばれてうたをうたい、その様子が記録されたVCDがいつのまにかマーケットで売られているのだ。
裕福な家庭では息子娘の結婚式を記録しようとビデオカメラマンを呼ぶ。ついでだから、と民間歌手も呼んで祝福のうたをうたってもらうのだ。たいていはビデオカメラマンが自分の商売の宣伝のために連絡先を付け足したVCDをマーケットでVCDを売る人々に配っているようだ。そして商売人が勝手にコピーをして3,4元くらいで販売する。

掛け合いうたの文化は非常に深く人々の心に根を張っていたものだった。今も簡単に即興で掛け合いうたを歌うことができる人々は多くいる。みんな農民だが祭りや酒飲みの場が盛り上がってきたりすると歌い始める。ただし、それは40代以上の人々で、更に旋律のルールや言葉遣い、韻のルールをきちんと把握している歌い手は50代後半より上の人々だ。

そして僕のタイ族の母は様々な種類のタイ族のうたをうたうことができる。僕は10年前に知り合い、そしてここ数年タイ族の音の文化について学んでいる。学べば学ぶほど、その奥の深さに驚かされる。その技術は小さい頃から「言葉」をつかう語呂合わせや韻合わせを遊び、「言葉」を感情がこめられたうたで聴いて覚えてきたから、僕のようにいまからどんなに言葉を一生懸命覚えても、細かなニュアンスや使い方は会得できない。

タイ族の人々はうた好きだ。だから、いろんな旋律、調子のうたがある。
そして、僕の母は文革を終えて、ラジオからこころのうたをうたい始めた最初の一人だった。若かりし頃の声はきっと多くの人々の心をとらえる美しい声だったのだろう。


博物館からオファーを受け、まずはメンバー選考。
男性の歌い手と、孔雀舞の踊り手を考えた。実は本当は瑞麗地域のタイ族のある男性を連れて行きたかった。その人は仏教知識に長け、そして孔雀踊りを民間で半職業的に踊ってきた人だった。その息子たち3人も小さな頃から仏教知識を仕込まれ、古タイ文字も習得していた。しかし、残念ながらおじさんたちはビルマ出身で中国国籍を持っていなかったのだ。

今回僕らが選んだフーカムのおじさんは、もちろんそのうたの技術は徳宏のだれもが認めるほどだ。僕の母の弟子でもある。僕の母とフーカムおじさんの名前を知らない人はいないと、ちょっと断言できる。記憶力が抜群によくてどんな歌の歌詞でもすぐに覚えてしまう。欠点は遊び好きで夜更かしをよくして身体を壊すので出発までに病気にならないかが心配だった。

さて、最後の孔雀舞の女の子だが、これがまた大変だった。
僕の母は日本に行くのでタイ族の代表的な魅力をもった女性、つまり外見が可愛い子を見つけたかった。それがだめでも、礼儀正しく、客をもてなす心遣いができるタイ族の典型的な女性を探したかった。この条件に加えて、孔雀舞を踊れる女性を探すのは困難を極めた。
まず、踊りが踊れる若い女性がいない。孔雀舞はレベルの高い踊りなのでその踊りが踊れる女性たちはみな外地に出稼ぎやアルバイトに行ってしまう。特にここ最近では、「雲南印象」で有名な楊麗泙さんに抜擢されて昆明や北京に行ってしまうのだ。僕らが探し回った女性はみな外に出て行ってしまっていた。
ようやく見つけた18歳のエジムも昆明に出ていたが、親が反対して徳宏に戻ってくるということだった。でも、性格上少々問題があり、礼儀に疎い若者だった。
実は、僕らが日本に行く話を持ちかけた時、彼女は「新しい」孔雀の舞を踊れたのだが、僕らが必要とする「民間の孔雀の舞」は踊れなかった。というより、彼女自身「簡単だろう」という甘い考えがあったらしく、「できる」と嘘をついた。
それが出発の3週間前ぐらいにわかり、ビザも取って変更不可能になったから、いそいで歌舞団などの孔雀舞を踊れる先生たちにコーチしてもらうことになった。しかし、1週間まえの最後のレッスンでは厳しくも不合格。これは大変だと、僕がかわりに毎日レッスンをして本番に間に合わせた。博物館での踊りは彼女もずいぶん緊張していたようだったが、顔の表情、感情表現が普段以上でよく踊ってくれたので80点くらいはあげられそうだ。
ただ率直に言えば、残念ながら付け焼刃で、タイ族を代表できない。

しかし、これが現実なのだ。

国の無形文化遺産に指定された孔雀舞の継承はそれだけ困難なのだ。
今回のことで、うたや踊りといったタイ族の伝統文化は消失の危機に瀕していることが改めて思い知らされたのだった。

つづく
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