中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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こころのしらべ 旅の記録 その2 『苦労』 2008年5月徳宏タイ族日本公演

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中国らしい苦労、とでもいえるかな、そんな苦労はたくさんありました。


まずはパスポートとビザ。

あまり詳しく書けませんが、感想だけ。

メンバーが決まり、とりあえずパスポートを申請する。うちのタイ族の母は仕事を退職した証明書があるので問題なく申請できた。しかし農民の二人は、これまた厄介で、申請にてこずった。

ビザ、これまた農民の身分はてこずる。雲南には日本領事館がないので、政府の代理機関を通じて申請ができるはずだったが、非常に厄介であるのであきらめる。結局、重慶の領事館に行くことになったのだが、様々な手続きを経て何とか乗り切る。もちろん重慶に行ってきました。


道具や衣装の準備

孔雀舞のことは「その1」にも書いたとおりで、小さな嘘(本人はそう思っているかも)がとにかく僕たちを焦らせました。もちろん、最初から孔雀舞の衣装を準備しておいて踊ってもらえばすぐわかったことなのだが、衣装をつくる老人が入退院を繰り返していたため、すぐには手に入らず面接と言うものはできなかった。

なるべく、今回は伝統衣装、それも昔ながらの布や材料で作る衣装を準備したかった。そのため、その布探しも少々てこずりました。特に藍染した布で洗えば洗うほど紋様が次第に浮き上がる「マン・ガイ」(以前紹介しました)を探すのが大変でした。これは世界でもまれな織り方をした布で、「染め」と「色落ち」を考慮した不思議な布です。ほぼ30年前には織られなくなった布で、今手に入るのはかつておばさんたちが少女の頃に織って家にしまって置いたものである。結婚や祭りで新調しては捨ててしまったり、葬式で一緒に燃やしてしまうので、芒市付近の村ではそろそろ入手困難になっている。

また、太鼓は徳宏でも作っているのだが、ゴングとシンバルはビルマから買い求めるため、3つの楽器の音がきちんと調和しているものをそろえるのが大変。そのため、太鼓もゴングとシンバルと一緒にビルマから買い求めることにした。ただ、ビルマのゴングは仕事が粗く、いい音が出ない。購入後は皮を張り替えたり、太鼓の内側をもう一度削りなおしたり、手間がかかった。


とにかく孔雀舞の練習と衣装の修理

とにかく孔雀舞の踊り手は経験がなく、だらしない女の子だったので毎日誰かがついていないとろくに練習しない。そして、孔雀の衣装は80歳の老人が作ったものだけあって、仕事が行き届かないところもあった。それに加えて初めてなので、練習で、下手くそな踊りで衣装が壊れる。それを直すのは僕の仕事で、きっと今後自分で孔雀舞の衣装を作ろうと思えば作れるほど修理しました。


おみやげ

実は今回お世話になる方にお土産を持って行ったのですが、特別な竹細工を2つ作ってもらいました。これは別で紹介しようと思いますが、布と同様30年以上前から作られなくなった竹細工でした。蓋付の竹かご、なのであるが、以前は結婚の嫁入り道具として作られ購入されていました。今回はお金や貴重品を入れるのに使っていたといわれる蓋付竹かごを作ってもらった。これまた今いる有名な職人でも編んだことがないので見本を持っていき、試行錯誤してもらった後完成しました。きちんとしたものができるまで全部で5つ作ってもらいました。


出発当日、最後の難関…荷物の輸送

さて最後に大変だったのが、道具の移動。孔雀舞の衣装は長さが1メートル50ほどになるため、太鼓や太鼓につける孔雀の羽、ゴングやシンバルと一緒に収められる木箱を作ってもらった。

もちろん、普通に考えても預け荷物でも規定の長さを越すと考え、あらかじめ空港会社に直接相談に行ったのだが、その時は問題ないといわれておきながら、当日空港ではNG。でも航空会社が超過荷物の輸送を随時受け付けるというので、いそいで空港そばの部署で国内輸送の手続きをとって昆明まで運ぶ。無事、昆明の航空会社の荷物受け渡しセンターで木箱を受け取る。

しかし、問題だったのが国際線。国際線では航空会社は個人の荷物輸送は受け付けておらず、輸送代理業者を通じなければ駄目といわれる。そして昆明に到着したのが5時を過ぎていたため、その日のX線検査ができないという。なんでも代理会社が引き取った後、空港に持ってきてX線検査をし、税関を通った後に代理会社がもう一度引き取り、あいている飛行機に乗せるため手間がかかる。そこで、客引きの代理会社の人たちが裏でお金をまわして預け荷物で持っていけるように手配してくれるという。700元というので安心して昆明の町に出かけ食事し、翌日朝8時の飛行機に備えて早めに就寝しようとしたところだった。

その頃になって代理会社の人たちが700ではだめだ2000元よこせ、と電話でいってくる。これは明日の朝になっても更に高額な値段を吹きかけられると考えて、日本に連絡。日本の先生のつてから空港で働いている人を紹介してもらい、翌日朝のフライトの預け荷物で木箱を送り、無事日本までたどり着いた。


今思うとあっという間の出来事だ。
なんだか、そんな忙しさ、焦りが懐かしいような気がする。
今も帰ってきてばかりで、これからいろんな人たちに会い、日本の話をしなければならない。
この数日、毎日人に出会えば「おかえりなさい」という言葉と笑顔がかけられてくる。

つづく

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