中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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「ピー」(霊) その2  ―――「人の道」が一番大きい

日本からもどり、「ピーにかまれた」おじいさんは順調に回復しているが、まだ左手に力が入らない。病院にいくお金がもったいないのか、いいかげんなのか、医者にはかかりに行かない。僕も何かお見舞いにと思うのだが、何がよいのかわからず、つい気が引けて買うのをやめてしまう。

僕はしばらく機織に専念することになった。一日の多くの時間はおばあさんと過ごす。口数が多く、少々苦手なのだが、よい人であることに変わりはない。

おばあさんからも村の噂話をよくきくようになった。噂話と言っても、この人はどうだ、とか、あの人はどういう人だ、という他者の評価。

村で恐ろしいのは「妬み」や「嫉妬」。

おばあさんは用心深く、用事がなければ他人の家には入らないようにする。おばあさんが村で誰かの家に行くとすれば、仲良しグループの家がほとんど。
他人の家に入らない。これは身を守るすべでもあるのだ。
特に持ち物には気をつける。かばんのような持ち物の中にピーをしこまれることをだ。葬式の家にはかばんを持ち込まないで、必ず門の前においておく。外に誰かの持ち物が落ちてあっても拾わない。それにピーがくっついているかもしれない。

近所付き合い、日本でもどこでも同じだと思う。ご近所さんや町内会の人たちとうまく付き合うのはどこでも気を使う。
ここでも同じように村人の一挙一動がすぐにうわさになる。そして、結婚式や葬式や何かの集まりで人々がおしゃべりしていると、近くで聞き耳を立てている人もいる。また、ふと耳にした一言を深読みして、それを悪い方向に解釈してうわさを立てたりもする。

村では「お金」もまた話のねたの大きな部分を占める。暗黙の、伝統的な「村の決まり」を逸脱することに対しても敏感だ。最近では村の決まりを逸脱してお金を稼ぐ人も増えたので、そういう人の話題があがる。
僕が村で誰かと初対面で日本人と知ると、必ず「あなたのお給料はいくら?」という質問が投げかけられる。「きっとお金がいっぱいでしょう」と言われる。
村のタイ族の人々は農民だ。どんなに農作物を一生懸命育てても、換金できるお金はわずかだ。それに収入のほとんどは生活費や孫や子供の養育費に使う。そこからわずかに残ったお金を少しずつ貯めるのだ。世の中、物価は高くなる一方だ。それなのに、末端の農民の収入はほとんど増えない。子供たちも小中学校と義務教育だけれど、途中で学校に行かなくなってしまう子供たちは思った以上に多いのだ。勉強して進学していい職を見つける、そんなプロセスは、どうやら農民にはあまり現実的ではないようだ。その理由も「お金がかかる」からだ。

「いきたくないのなら、しょうがない。」「うちの子供はそういうものだ」
なんでも「しょうがない」や「そういうものだ」が多い。

少しずつ貯めたお金はまず、息子や孫の結納金や結婚資金のために使われる。結納は農民の一般的な収入からすれば桁違いの金額で、よくそんなにお金を貯めるものだと思う。また老人の葬式のためにも使う。敬虔な仏教徒なら知人や親族を大勢招く「功徳儀礼」を開く。家によっては儀礼を開いたおかげで生活がますます苦しくなる人もいる。さらに、タイ族の人々はとにかく「見栄え」を気にする人たちだから新しい家を建てたいのだ。新しい家を建てられるかどうかも、貧乏かどうかという評価だけではなく、勤労や聡明さ、狡賢さを図る指標となる。

新しい知識や技術を誰かが他の村人と実践し、失敗すれば理由が何であれ、言いだしっぺのせいになる。成功しても、なんで私も一緒に加えてくれなかったのか、と嫉妬や妬みの原因になる。
他者の逸脱を見聞きし、村人たちは私もそうしようか、村で誰かがうわさを立てないかどうか、そんな他者の批評を気にしながら、人々のうわさの的にならないように道を模索し、生計を立てなければ、農民の生活は苦しいのだ。

村で平穏に暮らすためには、ただひとつ、知らないことを装って、みなと同じものを食べ、同じものを着て、同じ行動をとることなのだ。

村人との(特に女性との)たわいのない世間話は、気にかけなければただの井戸端会議である。でも村人の顔が見えてくるようになると、誰のどんなことをうわさするのか情報としてインプットされてくる。

そして、あいつには近寄るな、という話しも出てくる。
あの人は狡賢いからいっしょにいちゃいけない。はては、「いい人ぶって、実はピーを使って他人に悪さするやつだ。」
そうした評価の根拠はほんの些細なことだと思う。

とにかく、地球のどこでも、他者と暮らすことは簡単なことではない。
他者との付き合いがうまくいかない誰かが言った、
「もうこの生活に疲れた。死にたい」、と。
そしてもう一人の誰かがこう慰める。
「あの世も、この世もどこも同じだよ。あの世にもピー(死者)がいっぱいいる。それに他人なんて人間界よりももっともっと多いんだよ。」

僕は何度もおじいさんが病院にいって検査をしてくれることを望んでいる。
でも、なかなか「うん」とは言わない。

なぜなのだろう、と僕は母と話す。

母はこういう。3つ考えられる、と。

1、ピーにかまれたのだから、薬をもらって治る治らないも関係ない。

2、おばあさんがお金がもったいなくて病院に行かせてくれない。

3、家計はすべて娘が仕切っているのかもしれない。だとすれば娘がお金を出してくれない。

なぜなら―――病気になったのは、そういうものだから仕方ないじゃない。


あるおじさんが、タイ族のことわざにこんなのがあることを教えてくれた。うまく訳せないのだけど、


「何の決まりが一番大きい?」

「国の決まり?」

「いいえ」

「村の決まり?」

「いいえ、

『人』の道が一番大きい」


つづく。

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