中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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追伸 別れのあと

mengyang 1-1


おととい、先生の生まれた故郷から芒市の家に戻りました。僕はしばらくの間、先生の生まれた村を訪れていました。

先生のお父さんとお母さんは普段の生活を送っています。なんでも、老人二人が昆明から戻ってきた日、村人たちは先生と先生の父母のために、去年建て終わったばかりの新居で豚を一匹しめて、ささやかな送別の儀を行ったそうです。先生の遺骨は昆明ですし、今は政府が先生のために芒市に記念墓地を整備すると言うので、村や鎮に先生の死を宣伝しても、お葬式は行われませんでした。この村にはもう仏教信仰はあまり残っていませんが、先生が旅立った7日目には芒市の親戚の老人が朝からお経を唱えて先生の霊を済度する儀礼がささやかに行われたそうです。


僕が先生の家に着いた日、ささやかな送別会も終わった翌日でした。それから今も、村人が毎日家に来て老人のためにご飯を炊いてくれています。きっと老人二人は寂しいでしょうから、夜になると老人たちが眠くなるまで村人たちが家で世間話をしにきてくれます。
僕は昆明で撮った写真を老人に渡しました。喜んでみてくれましたが、翌日には孫のことや先生のことを想って寂しくなるから、と写真をアルバムにしまいました。

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 先生の昔の写真を見せてくれた。


僕の心が痛んだのは、「いつになったら遺骨は徳宏に来るのだろう? あと1週間くらい?」そうたずねるのです。僕には正直に答えることはできません。政府も言っていましたが、手続きには相当時間がかかるらしいのです。

この盆地のひとびとからはいろいろな噂も飛び交っています。先生も私生活ではいろいろと苦労されたのでしょうから、正と負の遺産をどのように処理していくのか、それは3歳の男の子と若い妻の海水に託されています。もちろん、残された成人した二人の娘も今後どのように生活を送っていくのか大変だとおもいます。最近、二人の娘さんからよくメールが来ます。いろいろと片付けなければならないことが多いから、老人たちを見舞いに来ることができないと、言っていました。

広い新居には特に何も物は置かれていません。開かれた居間には昆明から持ってきた先生の写真が置かれ、見舞いに来る人たちの悲しみを誘います。
僕はここ数日で汚れた床をモップで一生懸命掃除しました。ぽっかりと広い家が、泥やごみで汚れているのを見ていて、二人の老人たちの心が表れているようでやり切れませんでした。いつも掃除を心がけました。
それから、日本から持ってきてあった土産用のハンカチをおばあちゃんにプレゼントしました。
僕はあまり先生のことを考えないようにしています。でも居間に飾られた写真を見たとき、テレビや町で先生の演奏した曲が流れてくると、急に切なくなります。

送別会が終わっても、老人たちにはまだ安らかな日常は訪れません。毎日、近隣村の知人たちがやってきて、先生の死を悲しみに来ます。女性たちが多く訪れると、おばあちゃんは急に泣き出して哭きのうたを歌い、訪れた人々と悲しみを共有しています。ある日はおばあちゃんが哭きのうたをうたうと、雨が降ってきて、僕は悲しくなったので、外に干してあった台所用品を片付けたりしました。

僕がおととい帰るころには二人ともずいぶん疲れた様子でした。多くの人たちが毎日お見舞いに来ても、先生の話を繰り返し、繰り返し、何度も話さなければならないからか、少々やつれているようにも見えました。

僕が帰るころ、ふと耳にしたことがあります。先生がなくなる以前、シャーマンであるおばあちゃんは別のシャーマンに頼んで今年の先生の健康状況を尋ねたそうです。すると、悪い精霊が家にいるかもしれないからそれを追い出さなければならない、と言われたそうです。そして、モンヤンのある村では寺院の新築祝いが次の旧正月におこなわれるので、そのとき先生のために仏像を納めるつもりでいたというのです。
おばあちゃんにとっては、先生の死はかなりのショックだったでしょう。きっともっと早く悪い精霊を送り出していればよかったと、自分を責めているでしょう。

老人二人は今は一刻も早く先生の遺骨が徳宏に来て埋葬され、家で魂を送り出す儀礼を送りたいと願っているでしょう。あの世にたどり着いていないと、老人たちは心配しているのです。そしてあの世に旅立つ前の先生の「心残り」の「うた声」を「聴きたい」と願っているのでしょう。きっと、悲しみが降りてくると、知っていても、二人には避けて通れない、これからしばらくこの世界で生きていくために、どうしても必要なのでしょう。

ある村人が僕に言いました。
先生は確かにこの村で生まれ、育ったけれども、ずいぶん長くこの村から離れていたので、先生が亡くなったと聞いても実感がわかないというのです。あちこちで先生の曲が流れているし、なんだか昔みたいにどこかで何とかうまくやっているんじゃないかな、と。

村はいつもと変わらず静かで、村人たちは一生懸命で働いています。10月1日は国慶節で前日の夜にはひょうたん笛のコンテストが開かれました。7人の老人が野外舞台で古い調べを演奏してくれました。会場に来ていた多くの若者たちは、古い調べは聴いていて田舎くさすぎるとぼやきます。
なくなりかけていた古い調べ。僕の原点で、かつて必死に探してまわった曲。
若かりし頃を自慢げに語ってくれた老人たちが舞台のうえで、再び演奏しているのを聴いていると、僕は、ああやっぱりここに来ていてよかった、と思うのです。
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