中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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別れの後の日々

エン先生がなくなってもう100日になる。遺骨は徳宏に納められる予定になっているが、政府からはまだ何の連絡もない。先生のお父さんお母さんは未だに送魂儀礼を行えないため、先生の魂がまだこの人間界と異界の狭間にいると信じている。瑞麗のシャーマンを尋ね、遺骨が戻ってくるまでどうやって供養したらいいか問いに行った。そして100日目に食事を捧げればいいといわれたそうだ。

hulusi oldman
僕が訪ねに行った日、芒市のシャーマンを訪ねに行くところだった。僕は先生の命日や家の新築日が12干支のどれにあたるのか本を取り出して一緒に見た。僕にできる慰めの言葉は昆明の奥さんがきちんと遺骨を守っていることを告げるだけだった。「一ヶ月に一度、済度儀礼をしています」というと、先生のお母さんは「あのポック、ポック、というやつ?」(木魚を叩くこと)と聞く。

翌日、僕は久しぶりに別の村のある老人の家を訪れた。といっても、老人は10年前に亡くなっている。僕が農村で初めて「伝統的な」古い調べを聴いたのが、この亡くなった老人が演奏したものだった。そして、この老人の古い調べ以上に魂を揺さぶるような衝撃を与えてくれる古い調べは聴いたことがない。
この老人はエン先生の師でもあった。エン先生は10数年前徳宏から昆明に逃げてきてこの老人の死に目には会えなかった。僕が録音した古い調べを聴いた先生が身震いをしたあの情景を忘れない。
僕は老人の奥さんに10年前に撮った写真を渡した。
10年前に郵送したお礼の手紙と写真は届いていなかった。
老人の奥さんはとても喜んでくれた。今はかわいい孫が家にいて寂しくないという。

この亡くなった老人にはまだ70歳の兄がいる。この人も弟の作った笛で古い調べを僕に吹いて聴かせてくれた。最近では政府主催の行事によく呼ばれて他の老人たちと一緒に笛を吹いている。
翌日、僕の友人がこの老人の高齢の母が昨晩亡くなったことを告げた。そして午後、僕は葬式に参加した。
家は昔とまったく変わらない。生活が困難なことが一目でわかる家だ。老人の息子二人は高齢の老人たちをほうって数年も出稼ぎに出ていて戻らなかった。葬式の準備は隣人たちが手伝い、葬儀はひっそりと行われた。

友人の家に行こうとしたとき、墓を探しに行って山から戻ってきた老人に出くわした。風習にのっとって小さな白い旗をてっぺんにつけた笠をかぶり、長刀を肩に担いで降りてきた。村の隣人が脇に一人付き添っていた。

僕を見ると疲れた様子も見せず、駆け寄ってきて笑顔で僕の手を握った。

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