中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
声と文字

僕の母のうたや功徳書の朗誦を聴いていると、そのことばの響きに聴き入ってしまう。
言葉の意味がわからなかったあのころと比べ、今ではだいぶうたや朗誦の言葉の意味もききとれるようになった。それでもすべて聴き取れないのだが、声の響きの特徴には言葉の技法があって、大体の予想がつく。ひとつの言葉のうしろや前に同じ意味の言葉がくっついてまわる。延々と響き(韻)を強調して声が発せられていく。


cha 1
ここタイ族の人々は独自の文字を持っている。文字はちょっとかじればなんとなく分かる。タイのタイ文字ほど複雑ではないのだが、いかんせん、タイ文字(古タイ文字)には声調記号がない。そのためひとつひとつ、推測しながら読んでいく。実は、これも朗誦のメロディー感覚を身体に叩き込むと、意味が分からなくてもなんとなくで、わかったふりをして朗誦することができるのだ。と、僕は適当に朗誦すれば人々は驚く。

文字を理解する人はとても少ない。かつては文字は男性の特権のようなもので、僧侶にならなくてもなっても寺院で学ぶことができた。女性は家事をすることが役割なので文字を学ぶことは少なかった。
中国の各地が解放され、ビルマは独立紛争がおきるころ、声調記号と発音の区別がしっかりした新タイ文字が創られた。おとなりのビルマのタイ族は男女とも文字を学ぶ。こちら中国側のタイ族は漢化がすすみ、漢語教育が進んだ結果、男女ともに独自の文字を学ぶことはなくなった。

文字は仏教と大いに関係している。そして仏教は敬虔な仏教徒が女性であるのに対し、仏教知識は「男性のもの」のような言説がある。

そして、仏教が認めない(とされる)精霊信仰「ピー」の実践が「女性のもの」として述べられる。実際、仏教をつかさどるのは僧侶もそうだし、寄進代表者のように男性の仕事だ。それに対し、精霊と関係した霊媒師や巫女は女性がほとんど。

女性シャーマンは敬虔な仏教徒だ。でも男性たちはシャーマンが寄進するものは仏には「見えない」と口にする。
日本で言う下町おばさんのような元気な女性たち。お祭りがあればそこへ出向いていき、祭りの主催者を褒め称えるうたを即興で歌い、楽しむ。
シャーマンも文字は知らなくても「うた」でメッセージを伝えていく。

人々は半信半疑でもシャーマンの声、いや、シャーマンに乗り移るピー、歴史上の王様だったり、村の守護霊だったり、それらのピーの語る、うたう声に耳を傾ける。

ときに、結婚や旅、病気などの人生の節目に、人々はたびたび占星術師に占ってもらう。占星術師は専門の書物を持つ。僕も先月占星術師の弟子になった。門外不出の占星術。文字で書かれた「運命」に、人々は時に束縛され、抵抗することができない。そこにも仏教の影があって、仏教的実践をしいられるから。僕はそれが不思議で占星術師から術書を受け継ぎ、教えを受けて今も読んでいる。

お寺では戒律日には戒律を守る人々が寺に上がってお経を唱える。その経は村ごとに違う。ときにヤットナム(適水経)という功徳をあらゆる生命にわけあたえ、自分たちが敬虔な仏教徒であることを誓う経文は村の中でも人によって異なる。

ある日、僕は老人にそんなたくさんの経をどうやって覚えたのか、そして村によって異なる朗誦文、人によって違う滴水経のことについてたずねた。

経典が重要なのではない。どんなにお金をかけて祭りをしても、「こころ」がなければそれは徳にはならない。
何週種類もある経文を人々は「こころ」に覚える。だから、村によって違った経文も「こころ」からでてくるものだから、違ってもだれも批判することはない。
ただ、原則として、「こころ」があること、そして響き(韻)が美しいことが重要だという。

僕の母は、おそらく歴史上最初で最後の経文「功徳書」を書く女性だと思う。言葉の響きを精巧に練り上げて書く。文字の登場でタイ族の言葉の響きはさらにさらに練り上げられ磨かれ美しくなった。

ここ徳宏には伝説の人物がいた。カイカムという男性の英雄で、昔々タイ族の国同士が戦争を起こしたとき、その争いを「うた」を歌って鎮めた。カイカムの歌声は闘争心を消し去った。最後には権力者によって殺され、死体はばらばらにされ、各地の村にさらされた。しかし、死してなお夜になればカイカムの「うた」が聴こえたという。さらに、権力者は死体をミンチにしても(残酷!)、それでもなお「うた」が聴こえてきたという。このカイカムと関係した村の名前や地名がいたるところにある。
カイカムの霊がおりてくるというシャーマンもいる。

とにかく人々は「うた」が好きだ。うたをうたっていて死ぬ人もいる。
文字を朗誦することも好きだ。声に出してはいけないという経を読んで死ぬ人もいる。

人々は(うた)声を聴くと、いてもたってもいられなくなって耳をすませてしまう。
老人は僕がひょうたん笛の古い調べをあつめて創ったVCDを毎晩何度も聴いてメロディーから「声」を聴きとって楽しむ。毎日、毎日・・・

今日、あるおじさんが僕の母と10年ぶりに出会い言った第一声が、
「あなたと歌いたくてしょうがない!」だった。
そして市には僕らが日本に行ったVCDがすでに海賊版になっていたるところで流され歌声が響いていた。
コメント
コメントの投稿
 
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://asianmusic.blog50.fc2.com/tb.php/74-b3d4ab84
この記事にトラックバックする
 
 
 
 
 
 
 
 

copyright © 2006 People, Life and MUSIC all rights reserved.