中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
布 ―感覚を織る、生まれる感覚。

man kai


帰国間近の今日この頃。時間を見つけては親戚の家で機織をしている。

竹細工のおじさんが病気になって暇つぶしに始めた機織だったが、自分のきる服を少しずつ一本一本の糸で織っていくことはとても気の遠くなる作業であるが、なんだか楽しい。この手間隙をかけた作業に、僕は誇りとそして哀愁を感じる。

機織は数学だ。模様を創るために人は知恵を働かせてきた。縦と横の糸の絡み方、足踏みのコンビネーションで複雑な模様を生み出してきた。ここ徳宏には衣類として仕立てる布に20種以上のパターンがあった。どれも布になって藍染をして、少しずつ洗うごとに模様が浮かび上がってくる。

糸を紡ぎ、機織をしてはじめて、布の恩恵を得られ、そして、着るという行為と思考、人間の審美感を感じられる。

なによりも僕が好きなのは、川で洗濯して少しずつ模様が浮かび上がってくるということに、どうにもいえない「生活の匂い」、「くささ」が漂うところだ。

着るたびに、汗がしみこみ、それを洗うたびに、布は肌に優しく融合していく。

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 * 左は今僕が織っているパターン。すでに染めていて見えにくいかな。
   右は寺院新築儀礼に老人たちが仏に寄進した自分たちの服。数種のパターンの服が見えます。

いまではどこにいっても誰も自分の着る服など織らない。ラオスや北部タイのように素敵なシルクや綿のパシンなどはここでは織らない。安価な化学繊維の服や工場生産の服が簡単に手に入るから、誰も手間のかかり、お金にならない作業など行わない。100年以上昔のイギリスの学者ミルンの撮影した写真(shans at home)ではこの地域タイ族の美しいシルクの布が見られる。
残念ながら、その写真に見られた技術は当の昔の昔にここではなくなってしまった。

ビルマ側ではいまも、1月ごろの時期にボイサンガンカムという仏の袈裟を綿取りから糸作り、染め、そして織り、仕立てまでのすべての作業を一晩でこなす儀礼がある。女性たちが協力して一から布を織って仏にささげる儀礼だ。僕はまだこの儀礼を見たことがなく、市場で売られているVCDで見たくらい。その気の遠くなる作業を人々と協力して行うことに、そしてまったくの見通しのない作業を一から行うことに、儀礼に参加した人々はきっと誇りと大きな満足感を得られるのだろう。

今では5日ごとの市の日に、布を売るある村のおばさんとよくおしゃべりする。その人は、老人が亡くなった家から布を買いうけて市場で売っている。それもかなり安い。いまは年々藍染をする人も少なくなってきた。惜しむことなく、最近は晴れ着として若い女性が結婚式用に服を仕立てたり、寺院で戒律を受け始める女性たちが服を仕立てる。そもそも布はこうした晴れ着として着られるだけでなく、人間が亡くなった時に一緒に燃やしてあの世に持っていくためのものでもある。20,30年前に織られていた布が今こうして消耗され、数年後にはまったく手に入らなくなるだろう。
そう考えると、さびしくなる。


男が機織をする。
タイ族の人たちには想像もつかないことだ。僕が機織をしていると必ずうわさを聞きつけたおばさんたちが見に来る。「マオタオ(結婚できない男)が機織をして女になった!」なんていわれることもある。

パターンを織るまでには大変な準備が必要だ。パターンのもとになる糸を組み合わせる作業だ。
糸の硬度を高めるために粘り気の強い米を探してくることに始まり、数人で協力して縦糸を組み上げ、糸にピー(霊)がくっつかないようにおいはらったり、村で誰かが亡くなると機織の音をきいて霊がやってきてしまうから手を止める。

僕は自分で機織りがしたくて、村のおばあちゃんたちにもう一度思い出してもらうようにお願いした。
そもそも20,30年も織っていなかったので、「僕がこれを織りたい」といってもすぐには思い出せず、試行錯誤を繰り返したり、パターンのサンプルをどこからか見つけ出してきて準備をする。

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 * パターンのサンプル。これを見ただけではどんな模様なのかわからないですよね。


 『トック、トック、コロロローン、…

           トック、トック、コロロローン、…』


機織の音は子守唄のようでもあるという。
上手な人が織ると、リズミカルに機織のいくつかの錘が打ち鳴って心地よい音が響く。
そして機織の姿はシャトルを左右に流す動作に、シャトルを水が流れるように送るために、足で多いときは7、8つの足踏みを複雑に踏みあうしぐさに、踊りのような、美しさを見出した。

僕のワン母は従姉が機織をしているとき、どうにもまねできない「音」があったという。
トック、トック、コロロロ-ン、「しゅーっ」、・・・。

お母さんはこの「しゅーっ」という音がまねできなかった。
その秘密をずいぶんたってから知った。
従姉がリズムを取るために、歯と歯のあいだで「しゅーっ」と摩擦息をだしていたのだという。
お母さんはいつもこの音がまねできなかったのだよね、といって笑うのだった。

年季の入ったシャトルはとても美しい。おそらく漢語で言う「黒檀木」をつかったシャトルはとてもとても重く、深い黒色で、使うごとに光輝いてガラスのようになる。いまではもうこの木も見当たらない。

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人は便利さを追求し、挙句に気づかずに失ったものがたくさんある。とても大きなもの。自然や知恵。
そして付属してつらなって生の時間に生まれて消える音や匂いや輝き、色。感触。

ひとつのなんでもない「こと」を追求してみれば、どれにも深く生活の食材、におい、音、色彩、肌触りが生まれる根っこがある。

笛もそうだ。竹とひょうたんは食用でもある。どれがいい材料なのかは見た目と感触で確かめる。蜜蝋のにおい、時には呪術として甘い香りの稀少なビーズワックスを使う。リードの出来具合は完全に職人の感触に任せた仕事。作業の工程にでる「ほこり」が鼻をつく。そして最後に出てくる笛のすばらしい音色…。

僕はひとつ分かったことがある。いや、どれを学んでも欠かせないものがあることを知った。

僕らは人間が人間として持っているはずの「感覚」を失っているのではないだろうか。


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