中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
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帰国。

4月17日、雲南より日本に帰国した。

その数日は村の老人たちをまわって挨拶したり、昆明についてもお世話になった人たちに挨拶をしたり、忙しく時間が過ぎた。

僕がタイ族の母の家を離れる日もなんとなく、時間はすぐに過ぎた。この10日くらい前からカチンのお父さんは酒に酔ってまともに話もできなかった。一度飲み始めると身体の調子が悪くなるまで飲み続ける。ちょうどこの日にようやく風が悪化したか、酒を飲むのをやめおとなしく身体を横にしていた。

だからゆっくり話もできなかった。

お母さんも相変わらず、ぱたぱたと用事をこなす。

姉のランもいつものように寝坊をして起きてくると心はボーっとどこかに飛んでいってしまっていた。

闖入者の僕は旅立たなければならない。




昆明の夜、友人の家で僕は送別会をしてもらった。友人の家のベランダから外を見る。
昆明は高層マンションだらけだ。微妙な幅の空間が開いたマンション同士。明かりのついた窓から人影が見える。

世界は広いのかどうか。

村にいたら、夜は空を見上げ、煙で人の息吹を感じる。空に昇る煙。
煙を追いかけて夜空を見上げれば、この広い宇宙に比べたら僕らは小さな小さな存在だと感じずにはいられない。

都会では光を見れば、いやどこを見ても人の部屋が見えるから、空を見ることはない。まるで星の数ほどの人がいるような都市の明かり。その明かりに惑わされ、僕は世界は広いと感じずにはいられない。

僕くは星の下の村に思いをはせる。

僕が村の老人たちをたずねてまわろうと、この一日の一瞬は、のどかな村の時間の小さな一こまに過ぎない。

僕が横目に村を離れるときも、人々は替わらぬ日常を送っていた。
いつものように平穏な、そして日差しが強くなり、雨の恩恵を受けて田植えを始めるこの季節。

母も父も姉もそれは新しい一日の朝だった。母はしきりに日本にこれをもっていけばおいしい料理が作れるのに、とつぶやいていた。

僕はこれまで何度も同じような別れを体験してきた。海外での居候生活は何度も。

何度別れを繰り返したか、考えるのが億劫になるから考えない。

思春期の多感な時期の出会いと別れ、旅立ち、旅路は、高鳴る胸の感じと敏感な感情が心に響いてやまないから、今もあのころの記憶は鮮明だ。

でも、今の僕は違う。かわってしまった。

昔のように、出会いや別れの一瞬を心で深く受け止めようとしない。
特に別れはつらいのが分かっているから、どうやってわかれるのか、そんなことに慣れてしまったのだと思う。

それでも、最後の母との別れに、僕はたまらずに涙を流してしまった。


別れの前日、母は僕にうたを歌ってくれた。僕はそれを録音した。
母がかつてテープに録音してタイ族の人々のあいだで大反響だった美しいうた。

母は再びこのうたを歌った。

しかし、

録音は失敗だった。

うたは歌えても、もう録音するために美しい声を出すことはできないのだ。

やがて歌うことすら難しくなるだろう。そう母つぶやいた…。



これから先、母はどうやって生活していくのだろう。
このまま手の焼ける父と姉の面倒を一生続けていくのだろうか。
姉はすこしでも我侭をなおして母を助けてくれるだろうか。
父は悪酔いを反省して酒をやめるだろうか。

母の
歌声が枯れたとき、母は、僕は、そして人々は、何を思うだろう。

何を感じるだろう。


日常は止まらない。



コメント
7月18日のゴー君の演奏、最高!
悟殿
メールを送ったけれど、戻って来ました。新しいアドレスを教えてください。8月1.2日長野へゴー君と一緒に来ませんか? 詳細はすぐ送ります。
            足立・沢田
 
 
2009/07/19(日) 23:17 | URL | 沢田勝彦 #2hrqhsIs[ 編集]
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