中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
最近の演奏活動と機織の音

帰国後マイペースで演奏活動を行っています。最近は七夕に高野山のカフェ梵恩社、そして先日は長野県の御代田の村祭りで演奏しました。

プロとアマチュアの線引き、
客のニーズにあった演奏、
僕はこの二つが大嫌いです。

頭でっかちなこれまでの概念では現代社会で豊かな人間関係を築いて生活すること、忙しい日常生活にちょっとした潤滑油を注ぐことは難しいと思う。

僕は何でも屋ではないので日本の曲も混ぜてガチガチのプログラムを作って演奏したりはしない。

僕がいい加減に演奏しているのではない。すごく真剣だし、聴いてくれる人たちに感謝している。
客が聞きたくないものを演奏するわけではなく、客と対話できるような演奏をしたい。

上の二つの項目は、演奏の場や機会を企画してお金を稼ぐ人の勝手な思い込みだと思う。
もちろん生活するためには、そのように考えることもいたしかたないことだろう。

会場に来てくれて今その場で聴いているお客さんにとって、僕がプロかアマかは関係ない。そこには音が響いている。
僕は音を通じてお客さんと対話したい。だからいってみれば曲目が何であるかはあまり関係ない。ただし、これは理想で僕はまだまだうまくできない。

昔は演奏するのに「僕のこの曲を聞かせたい」、そんな自我が強かった。
でも僕が演奏するような民族音楽はポップスやロックと違うから、がちがちのメッセージ性や自己表現で固める必要はないと思った。

もちろん、ひょうたん笛はもともと音に歌詞(意味)を乗せて吹いたのだから、自己表現の一種なのだけど、もともとは対話というコミュニケーションを前提にしていた。

おじいさんたちの話を聞いていると対話にはいろんなやり方があることに気づく。
機織の音が聴こえてきたから、笛を女性の家の前で演奏したという話を聞いた。
女性たちは夜中薄明かりの中で機織をして男性を待つことも多かったという。
村の外から笛の音が聴こえてくれば、女性は機織の音を普通よりも強く、大きく鳴らす。自然とスピードも速くなってリズミカルな踏み棒や錘がぶつかり合って鳴る機織の音が男たちの耳には聴こえてきただろう。その機織の音に誘われて、男たちは女の子がいる家を探し当てる。



※ 織り機の音

そんな話を女性たちにすると、女性は笛を吹いたりする自由はなかったから、日常生活の中の仕事を上手に豊かに利用した。
機織の音で男に居場所を知らせたり、一心不乱に大きな音を立てて自分の思いを伝えたり。
他人からすれば、その一生懸命の音が、この女性は真面目に仕事をすると評価される記号になった。

男女が恋をしているときの音は素直だと思う。わかりやすい。しかもとても純粋な音。
ある田舎で聞いた言葉の意味がわからない夜中に聴こえてきた男女の歌掛けの声。柔らかくて甘い声が夜空にかすかに響いていた。
僕も以前は好きな女の子にわざと笛の音が聴こえるように練習したりしたっけ。


僕の演奏技量は限られている。その中で、その音を使ってきちんと、丁寧に、自分の心をその音によって説明して伝えるように心がけたい。

相手がほしいものに僕が応じてしまい、僕が無理やりそれを作るのではなく、形は違っていても根底では通じている何かを、その通じているということを分かってもらうために、丁寧に思いをこめて音をだしたい。


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