中国雲南、タイ、ラオス、ビルマの人、生活、そして音楽。 ひょうたん笛(葫芦絲)演奏者が綴る「おと」、「ことば」  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
雨安居明け、そして太鼓。

RIMG0380.jpg RIMG0376.jpg




およそ3ヶ月の雨安居が明ける。
村のお寺では戒律を守って過ごしてきた老人たちが集まり、儀礼を開始する準備を始める。

今年はあいにくの雨で儀礼に参加する人がまばらだ、という。
儀礼の準備はすべて老人たちが行う。
若者はいない。


RIMG0390.jpgRIMG0391.jpg

RIMG0590.jpgRIMG0658.jpgRIMG0487.jpg



以前数年前まではまだ老人を手伝いに若者が来ていたものだが、今年は一人も見かけない。いるのは僕やその友人くらいである。

寺の中では老人たちが儀礼の準備をしたり、食事を取っていたり。
あるおじいさんが、お酒が入っていい気分になったのだろう。杖を振りかざし、タイ族の「戲劇」の一幕を歌いだした。
周りのおじいさんたちから続きはどうだとか、横槍が入る。
この地域では文革終了後、一時的にタイ族の伝統戲劇が復活したが、やがて生活の忙しさと、後継者不足のためなくなってしまった。
いまでも戲劇の一幕を覚えて歌える老人は多い。


友人のお父さんは儀礼の前日、村人たちから募ったお金を持って州都まで太鼓を買いに行った。
文革時代、僧侶は還俗させられ、寺は破壊され、経典は燃やされ、そして村人たちに時間やさまざまな合図を送った太鼓も破壊されたのだった。
それから20年以上の月日がたち、この日再び太鼓を寺に収めることになった。
しかしながら太鼓そのものは漢族式のもの。
かつてのような、ビルマで使われるような太鼓ではない。

重要なのは、老人たちが幼少のころ聞いた太鼓のリズムと旋律の「記憶」を再び共有することだった。


新しい太鼓がたたかれたのは、経典が読み終わり儀礼が終わったときだった。


drumRIMG0433.jpg



老人たちはそれぞれ仏像に供物をささげ、礼拝し、線香やローソクをささげる。
寺の外では10メートル以上ある長くまっすぐな竹に長く白い旗を取り付けたものを準備し、その竿と旗を十数人がかりで立ち上げたのだった。

RIMG0398.jpg RIMG0545.jpg


僕はふと足元に違和感を感じた。そういえばと地面を見ると、土ではなく、コンクリートが敷かれていた。
旗を立ち上げるのに、以前は土を一生懸命掘ってそこに突き刺したものだったが、今回からはコンクリートの地面にあらかじめ空洞の鉄の棒が設置され、そこに竿を入れるだけだった。

昔は川岸の遠く向こうから、ほかの村人たちと協力しながら竹を運んできたという。
となりにいた友人が、「そのうち、国旗を掲げるような金属の棒がつくられるんだろうな」とつぶやいた。

本当なら若者が集まり、太鼓をたたき、銅鑼や鐘を鳴らし、踊りを踊る、ほかの村からも太鼓を叩いて行列を組んでやってくる、そんなにぎやかなはずの雨安居明けが、今日はひっそりとしていた。

かろうじて一日中準備で忙しかったおばさん数名が、肩の荷が下りたのだろう、太鼓をたたいて踊っていた。
女性が太鼓を叩く、という姿は今では慣れたけど、以前はタブーだった。

なにか大きな溝が深まっていく…。
若者はいない。


drumRIMG0430.jpg drumRIMG0528.jpg



RIMG0673.jpg

コメント
コメントの投稿
 
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://asianmusic.blog50.fc2.com/tb.php/9-4d1a2a08
この記事にトラックバックする
 
 
 
 
 
 
 
 

copyright © 2006 People, Life and MUSIC all rights reserved.

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。